レスギンの獅子(7)

 マルクの客間にラドビクが飛び込んできたのはそれから二刻も過ぎて、窓の端に西日が差し込みはじめる頃だった。
「ソーティス卿!何をやらかしたんですか、一体!」
半ば怯え顔のラドビクは続き部屋の扉を慎重に続けると小声でまくしたてた。
「いま、城代の部下がこの部屋に向かってますよ!ソーティス卿を捕まえるとかいって武装したのが十人も!どうするんですか!!」
「そうか。」
沈鬱なマルクの表情を見たラドビクは、一瞬マルクの様子をうかがったが、気を取り直してもう一度尋ねた。
「一体どう言うことなんですか。説明して下さいよ!」
表情は暗いままでマルクは立ち上がり、服を着替えはじめた。
「この城の騎士を四人斬った。」
ラドビクに背を向けたマルクがさらりと言うと、ラドビクが息を吸い込む音が微かに響いた。
「・・・なっ、なぜですか!昨日は相手にするなって言ってたじゃないですか!それを今日になって・・・」
「うるさい。」
マルクが静かだが怒りに満ちた声で言い放つとラドビクは黙った。
「連中の挑発に乗ったのは我ながら軽率だったと認める。だが、やってしまったものは今更仕方がない。ともかく城代はこの件で私を裁くつもりだろう。兵はその迎えと言うわけだ。」
「で、どうするんですか。これから。」
「話し合いで解決がつくならそれで良し。さもなければこの砦から逃げる。」
「逃げるってソーティス卿、一体どうやって!傭兵の数に城代の部下を合わせると五百人はいるんですよっ!」
マルクは着替えを済ませて上衣を羽織った。腰にはグラミカとジルの二刀を佩く。
「私一人なら何とでもなるさ。ラドビク、君は私が連れていかれたら荷物をまとめて馬に積んで置いてくれ。話し合いで済むにしろこの砦から出ることにはなるだろうから。」
「しかし・・・」
「私が一刻経っても馬小屋に行かなければ砦を出ろ。兵が動いたり角笛や太鼓が鳴ったときも急いで逃げ出せ。いいな。」
マルクがちょうど身支度を終えると同時に客間の扉が叩かれた。
「マルク・ソーティス卿。御在室ですな。」
「いいな、ラドビク。」
マルクはもう一度念を押すと扉を開けた。扉の外には武装した兵士が待ちかまえていた。どの顔も戦々恐々といった面もちだ。
「ソーティス卿、城代様がお尋ねになりたいことがあるそうです。御同道願えますか。」彼らの代表らしい男がマルクの様子をうかがいながら言った。斧槍を持つ手が震えている。おそらくは昼過ぎの事件の様子が噂で広まっているのだろう。マルクは不機嫌そうに答えた。
「その物々しいなりは何だ?私が君らを皆殺しにするとでも思うのか?」
兵士は返答に窮して言葉を探している。
「と、とにかく、城代様の命にございます。」
「まあいいだろう。案内しろ。」
「わ、わかりました。それと、腰のものをお渡しいただければ・・・」
「十人掛かりでもまだ不安なのか?どうしても私の剣を奪いたいというのなら、試してみたまえ。」
マルクがグラミカの柄に手を置くと兵士達の顔が青ざめる。何人かはひきつった顔で得物を構え直した。
「い、いえ結構です。そのままで結構です。」
兵士の代表はそう言うとマルクに道を空けた。
「こちらです。どうぞ。」

 砦の会見の間の奥にはニカロン男爵の黒豹の旗が掛けてある。その下には神経質そうな表情を浮かべた城代と、四人の騎士のうち二人、そして少し離れて二人の傭兵隊長がマルクを待っていた。最初に口を開いたのは指を失ったダハル卿だった。
「な、何故この男の武器を取り上げないのですっ!城代っ!」
マルクの方を一度見たあと、ダハル卿ともう一人の騎士は椅子の上で身を引いた。二人は右手を布で包んでいた。顔がひどく青ざめていたが、それは失血のためだけでもないだろう。城代の方はというとやはりマルクの方に恐れの眼差しを送っていた。マルクを呼び出したのは城代なのに一向に口を開く様子もなく、マルクと視線が合うと二度唾を飲み込んだ。仕方なくマルクは口を開いた。
「私が何か武器を取り上げられて捕らえられるようなことを致しましたか?城代殿。どうしても必要だと仰せならば武器を預けも致しましょうが、それなりの理由もお聞かせ願いたいですね。」
「だ、だまれっ!貴様がわしにした狼藉を忘れたというのかっ!」
ダハル卿は恥も外聞もなく叫んだ。
「狼藉ですか?私はいきなり殴りかかられた上に切りかかられたので身を守った覚えはありますが、狼藉など働いた覚えはありません。」
マルクは冷然とダハル卿を見据えた。その心には先ほどの後悔が形を変えて再び訪れていた。この男の行いを正すなど、やはり自分の傲慢であった。この男は死に瀕してさえも愚かであり続けるだろう。
「それはともかく、城代殿は私に何用でしょう。これだけの物々しいお迎えをよこすのですから何か重要な用件だとお察しいたしますが。」
マルクはさも怪訝そうに城代へ目を向けた。緊張もいらだちも一切外に出さずに落ちついた様子を装っていたが、心中では脱出時の段取りを必死で計算していた。
「ソ、ソーティス卿。じじ、実は今日の昼のことで、ダハル卿から、な、なんでも話があるとか・・・・」
城代は自信のなさを隠しもせずに話し始め、その語尾はマルクが不快そうな表情を浮かべると微かになって消え失せた。
「私には話すことなど何もありませんが。」
「き、貴様っ!われらにあれだけの狼藉を働いて置いて話すことは何もないだとっ!城代、こ奴は我らにいきなり切りかかりわしの指を切り落としたのですぞ!男爵の従兄弟であるこのわしの指をっ!こ奴を捕らえて男爵に突き出すべきですぞっ!」
マルクは何故この男がここまで身勝手になれるのかやっと合点が行った。ニカロン男爵の従兄弟であるというその一事で、この砦では全て思うがままになると考えているのだろう。虫がいいとはこのことだ。マルクは思案した。この人間のくずの思い上がりを正すのは無理として、その災いが及ばないようにしなければ。
 マルクが呆れて沈黙しているとあの赤ら顔の傭兵隊長が口を開いた。
「城代殿、発言をお許しいだだけますか。」
「パーボ。そちはその場で様子を見ていたのだな。そなたの見ていた様子を話せ。」
弱り切った様子の城代は幾分ほっとした顔で助け船に乗った。
「しかし城代!」
「何か不服でも?」
口を挟もうとするダハルに、マルクは鋭い視線を浴びせた。手はさり気なくグラミカに掛かっている。
「ぐっ。」
ダハルは青ざめた顔で歯を食いしばった。
「さて、私が見た限りの部分を御説明いたします。」
パーボはマルクが引き倒されたところから一部始終を話した。マルクが殴りかかられて逆にその騎士を叩き伏せたこと。ダハルの命令で二人の騎士が剣を抜いたこと。マルクがダハルと二人の騎士に手傷を負わせたこと。マルクが彼らの手当を言い出さなければおそらくは皆失血で命が危なかっただろうこと。マルク自身はその話を聞きながらマルクは後悔した。殴りかかられた直後に問答無用で四人を斬り捨てて、早々に砦から退散しておけば後腐れがなかった。あるいは、傭兵隊長の仲裁を受け入れておくのだった。パーボはマルクの剣術がおそらく一流の傭兵で通るだろうとつけ加えて話しを締めくくった。パーボの見立てはともかくとして、一切偽り無く話してくれたことにマルクは深く感謝した。この恩義は忘れてはならない。
パーボが話し終えると広い会見の間にしばし沈黙が訪れた。ダハルは拳を震わせてパーボを睨んでいるが、傷で意識がはっきりしないのかときどき焦点が合わないようだ。城代は話を聞いている間にさらに困惑の表情を大きくしていた。
「クラース。パーボの話に偽りはないか。」
「ええ。」
城代はもう一人の初老の傭兵隊長に尋ねたが、簡潔な返答は彼の困窮を確認しただけのようだ。城代はほとんど怯えるような様子でマルクとダハルを見比べた。出来ればダハル卿の言うなりにしたいのだろうが、どう道理に照らしてもダハルの言い分に理はない。
「ソーティス卿。ご足労いただいて申し訳ない。お帰りいただいて結構です。」
城代は溜息を一つついたあとやっとの事でマルクに言った。
「な、なんだと城代!」
ダハルが激高して立ち上がろうとした。城代は顔をこわばらせて椅子の上でダハルの怒りから身を引いた。マルクはこの様子を見かねた。
「城代殿。砦の訪問を切り上げさせていただきたく思います。」
「な・・・あ、そ、そうか。大したもてなしも出来なんだが。」
「いえいえ。ご歓待痛み入りましたとも。」
マルクが一礼すると城代はほっとした様子で礼を返した。
「な、なにを・・・」
「パーボ、クラース。ソロスの騎士殿を丁重にお送りして差し上げろ。」
ダハルが抗弁する間も与えずに城代はマルクを送り出した。最後の最後で城代には礼儀とわずかばかりの機知が戻ってきたらしい。怒りに言葉もない様子のダハルを尻目にマルクは部屋を出た。

 二人の傭兵隊長に付き添われてマルクは砦の正門へと向かった。
「パーボさん、クラースさん、お二人には御礼を言わなくては。お二人が証言して下さったおかげで、ダハル卿も無理強い出来なくなりました。感謝いたします。」
マルクが歩きながら礼を言うと、二人の傭兵隊長は笑って応じた。
「わしは一回頷いただけで、他にはなんもしとりゃせん。礼には及ばぬよ。」
「俺だってあんたのために嘘をついたわけじゃない。あったことを言っただけだから、それでおとがめなしなのはあんたが間違ったことは何もしてないだけの話だ。」
「実を言うと、本当に間違いを犯していないか自信がないんですよ。」
マルクはわずかに眉根を寄せて話した。
「あの騎士達を傷つけずに済ます方法があったんじゃないか、と。」
マルクがいった言葉にパーボは呆れ顔を浮かべた。
「さっきのダハルの様子を見てもその台詞が出てくるとは、あんた人が良すぎるんじゃないかね。俺はむしろ、連中の息の根まで止めてしまった方が良かったと思うが。」
「いや、それは・・・」
マルクは言葉を濁した。例えそれが最良の方法だと分かっていても、マルクは躊躇うこと無く殺人に踏み切れはしないだろう。
「ソーティス卿。わしはあんたのやり方で正しいと思う。」
クラースの方は静かな口調でマルクに答えた。
「わしはもう四十年近く傭兵を生業にしとるが、この年になってみると自分が手に掛けた相手のことが今更ながら思い出されてならん。まだ若いのもいたし、女もいた。自分の身を守るためのこともあったし、雇われ仕事のこともあったが、どんな連中でもわしが殺さなんだらまだ生きとったかもしれん。殺さずに済むならその方がいい。」
マルクは神妙な顔つきになっていた。この老傭兵の言うことは何となく理解できた。マルクは最初の殺人を犯したとき、何かが自分の中で壊れるのを感じたし、世界を見る目が変化したのを覚えている。
「なにもこんな時に説教ぶたなくてもいいじゃないか。」
パーボは少し嫌な顔をした。散々聞かされた台詞に違いない。
「はは、そうじゃな。若いのをみるとつい愚痴っぽくなっちまっていかん。」
クラースは苦笑した。
「ところでよ、ソーティス卿。」
「あ、マルクでいいですよ。」
「そうかい。ならマルクよ、あんたこれから何処へ行くんだ。東に戻るんなら何人かうちの隊から付けてやろうか?」
パーボは多少違和感を顔に出しながら言った。騎士を姓でなく名で呼ぶのはなかなか機会がないからだろう。
「いえ、マイソミアを抜けてソロスにかえります。」
「マイソミアを二人でか?止した方がいいぜ。マイソミアの砂漠は隊商でも危ねぇ目に遭うんだ。まぁ、ここんとこ山賊の類はまるで心配はねぇけどな。それでなくても難所の多い道だ。砂漠を渡ったことのある奴がいなきゃまずミネアまでたどり着けないぜ。」
パーボは真剣な調子でマルクを止めた。
「山賊が以前みたいに出ないのなら心配要りません。あの街道は何度か通ったことがありますし、何カ月かマイソミアで暮らしたこともありますから。」
「ほぉ。パーボ、どうやらわしらはまだこの騎士殿を見くびっていたようだな。」
クラースは感心してマルクを眺めた。背が高いものの頑健とは言えない体格と軽薄そうな顔つきでマルクは損をすることが多い。
「それでも俺は止めた方がいいと思うがねぇ。まぁ、行くんならしょうがねぇな。」
「心配してもらって感謝します。」
パーボは納得のいかない顔で肩をすくめた。
「いいさ。お節介ついでに食糧やら水やらを分けてやろう。」
「荷馬も持っていくといいだろう。そっちはわしの隊で出そう。」
パーボとクラースの申し出にマルクは驚いた。見ず知らずの相手にここまでしてくれるとは。
「それはいけません。こちらはお返しできるものも大して・・・。」
「こう言うときは受け取っておけよ。お前さんがのたれ死んだらこっちの夢見が悪いだろ?」
「しかし・・」
「あって困るものではない。ではないかな、騎士殿。」
マルクは息をついた。この好意は決して忘れまい。
「分かりました。ありがたくお受けします。」

 厩につくと、まだ約束の時間には早いがラドビクはそわそわしながら待っていた。マルクが近づくとほっとしたように溜息を一つついてからマルクの横にいる見慣れぬ二人に視線を送った。
「ソーティス卿、こちらのお二方は?」
マルクは紹介しようとして、自分たちが正式に紹介も済ませていないことに気がついた。「あー、紹介します。これは私の従者でラドビク=オウス=ノロード。私自身の紹介も済んで居ませんでしたね。ソーリア王家に忠誠を誓う近衛騎士でマルク=レヴィス=グラムソーティスです。」
二人の傭兵隊長はマルクに応じて口を開いた。
「俺はルキウス=パーボ。ロンダール人だ。」
「わしはジェセン=ダウ=クラース。ミシュラール人だ。知っての通りわしらは傭兵隊長をしとる。」
紹介が済むと沈黙が訪れた。マルクとパーボ、そしてクラースはなんとなくお互いに顔を見合わせたが、パーボが吹き出すとラドビクを除く三人は笑い出した。
「ははは!これから別れるってのに自己紹介もねぇよな!」
「まったくです。・・・でも、もしかしたらまた会う機会があるかも知れません。その時にはご厚誼のお返しを致しますよ。」
「ああ。期待してるぜ。俺とクラースはちょっくら荷馬の用意をしてくるから、ここで待っててくれ。」
笑いながらパーボとクラースは傭兵の宿舎の方へ歩いていった。
「あのお二人、荷馬とか何とかおっしゃってましたが。」
二人が行ってしまうとラドビクが尋ねた。マルクは上機嫌でこの一件の一部始終を話して聞かせた。
「まぁ、そういうわけでこの砦の訪問も約一日でおしまいだ。」
「そうですか。何にせよ無事ソロスへ帰れるんでしたら言うことありませんね、ソーティス卿。」
ラドビクはほっとした風情で答えた。
 二人の傭兵隊長と数人の部下が荷馬を連れてやってくると、マルクとラドビクは彼らとともに正門へ向かった。夕日はもう落ちかけていて、薄曇りの空を茜色に染めていた。
「それでは、お世話になりました。お二方とも、また会う機会があればその時にご恩をお返しいたします。」
「ああ、元気でな。俺も春にはこの砦からは出ようと思っているから、次はロカール当たりでばったり会うかもしれん。」
「砂漠越えは難路だから気を付けてな。水は欠かさず補給するようにな。それと蠍には・・」
「クラース。くどいぜ。」
「おっと。いかんいかん。」
マルクは笑って一礼し、さっと馬上に登った。
「それでは、また。」
ラドビクも続いて馬に乗り、二人は正門の外へと馬首を巡らせた。正門を抜けると丘の眼下には夕日に照らされた木々とその彼方に広漠たるマイソミアの不毛の地が望めた。
「ソーティス卿。」
「ん?」
馬を進めながらマルクはラドビクの方を向こうとした。その時、マルクの耳に何かが風を切る音が聞こえた。上を見上げたマルクの目に映ったものは、朱の空を飛び来る数本の矢の姿だった。
「なにっ!」
とっさにマルクは馬上に身を伏せ、声を上げた。
「ラドビク!」
「うあぁ!」
マルクが横を見やると、彼の従者の体は馬上から落ち掛かっていた。その左肩を長弓の矢が深々と射抜いていた。