1976-01-01から1年間の記事一覧

米内ですがハルノートを受諾しますたについて

架空戦記掲示板のWikiである架空戦記Wiki(http://wiki.livedoor.jp/talive0208/)に投稿している作品。 「御前会議の閣議決定後、突如として昭和天皇の気が変わり、ハルノートを受諾することになりました。そこで白羽の矢が立ったのは、海軍左派で親米英派…

その0:米内ですが組閣の大命を受けますた

その夜、彼は寝付けなかった。 昭和16年12月6日。いや、時刻は既に0時を回り7日を迎えている。何とはない胸騒ぎに、彼は寝床から起き出した。冷え切った夜気が首筋をなぜる。 まもなく。 玄関先で何か物音がしたようだ。彼の住む三年町は、霞ヶ関のすぐそば…

その1:受諾を公表しますた

政変。その噂はすぐさま市井を駆けめぐった。 曰く、近衛師団が宮城の周囲を厳戒警備している。東条首相始め閣僚が全て招集された。東京憲兵隊も動いている。海軍や陸軍の将官が何人も拘禁された。 表立った動きや争乱は何もないが、明らかに何かが動き出し…

その2:交渉開始にこぎつけますた

1941年12月14日未明。フィリピンの北、台湾の南。南シナ海のどこか。 「潜望鏡深度。」 「アイサー。」 海面から僅かに飛び出す機械の目。 「魚雷装填。」 「……考え直しませんか、艦長。」 「これは命令だ。長官直々のな。」 「……1番2番装填。」 その視線…

その3:南部仏印から撤兵しますた

「ルーズベルト倒れる」 ワシントンポストに掲載されたその記事には、大統領の病状について事細かに書かれていたが、後任大統領については二の次とばかりに控えめに書かれていた。 「後任はウォーレス副大統領」 その一文を読んだ市民の反応は、以下のような…

その4:内戦がはじまりますた

小林盛夫は、行進する兵隊達を見かけて足を止めた。 場所は市ヶ谷の靖国通り途上である。2月半ばの冷え込んだ朝、数日前に降った雪が道のそこここにぬかるみを造り、まだ日陰には泥と混じった白いものがちらほらと残っている。時刻は朝6時過ぎだろうか。 そ…