運命の銃声は三度響く(2)

 琥珀色のバーボンを、ちびちびと喉に流し込んでいく。鼻孔へ抜ける香りと、胸元を灼くアルコール。

 トムが来るまで、まだしばらくかかりそうだ。カウンターの向こうでは、マシューが渋い顔でグラスを磨いている。そこだけ全く時間が流れていないような、記憶と全く同じ風景。私自身、2年もここに来ていないことを忘れてしまいそうになる。もっとも、カウンターのスツールは他に埋まっていない。トムと、ジョシュ。二人の姿がないのが、記憶との唯一にして最大の違いだ。

 この約2年間、忘れていたわけではないが、思い出がいくつも漂っているこの場所に座ってみて、自分の喪失感の大きさにたじろぐ。

 ジョシュア・マカラム。4つ上の、ただ一人の私の兄。警官だった父が死に、母が失踪したとき、まだティーンエイジャーにもなっていなかった私を育てた、そこまで行かなくとも、飢えることなしに養ってくれたのは兄に他ならなかった。

 兄がどんなことをして私を食わせていたのか、当時の私ですら、想像するのは難しくなかった。

 堅物の父とも、ヒステリー持ちの母とも反りの合わなかった兄は、16のそのころから、町で名前が出ただけで皆眉をひそめるような不良だった。家に帰らないことなんてざらだったし、始終生傷をつけて歩いていた。おそらく、殺人と脱税以外のありとあらゆる犯罪は経験済みだっただろう。

 父母の頼りない庇護の手が消えて、私は、目つきの険しい民生委員の女性から、施設へと行くよう言われた。その私を引っ張り出し、金切り声をあげる民生委員から救い出してくれたのは、葬儀の翌日現れたジョシュだった。

「おまえさえ良ければ、俺が食わせてやる。ただし、学校は行けないし、働いてもらうぞ。それが嫌なら施設へ行け。」

 そういって私を見たジョシュの目は、それまで私が見たことがないほど美しかった。危険に晒されて研ぎ澄まされ、安逸や妥協とは無縁の眼差し。今思えば、この若く賢い狼は、自分の妹を生かすか殺すか算段していたのだろう。本の虫で、内気で、ひ弱な、良くできてはいるが生気のない人形のような子供であった私が、このときなぜ頷いたのか、今でも分からない。ただ、兄の凍えるようでいて惹きつけられる瞳に吸い込まれるように、無心でその後を追った。

 それから私の生活は変わった。学ぶことはいっぱいあった。小娘が自分を守るためには、ナイフと銃が必要であること。笑顔は相手の油断を誘う最高の手であること。スリの仕方。馬鹿な観光客の騙し方。スマートな金の奪い方。そして、音もなく相手の命を絶つ方法。

 ジョシュは、自分自身と私の身を、大きな犯罪組織に委ねたのだった。既に名前を大きく売っていたジョシュにしてみれば、いつまでも一人で居たり、不良少年のグループで大きな顔をしていても、得にはならないと判断したのだろう。

 その組織で、ジョシュは若手の成長株としてメキメキと頭角を現した。そして、その兄のアキレス腱こそ私だった。だからこそ、それまでフライパンより重いものは持ったことがないような小娘にすぎない私は、過剰なまでの訓練を受けた。

 当時は、ジョシュを殺したいほど憎んだこともあった。そう。私の中の内向的な少女はどこかへと去り、人への殺意すら抱けるようになっていた。そして、次第にその殺意すら抱かずに人を殺せるようになるまで、さしたる時間はかからなかった。

 私が16になる頃には、ジョシュは組織の幹部候補といっても良い位置にいた。トマス・カテールはジョシュの一つ年下で、その片腕だった。私たち3人と、手足になって動く人間。幹部の一人、リジェ・オリーリの下で動く私たちの役割は、主に暗殺だった。敵対的な組織の人間、市や州の政治家や役人、財界の有力者。請け負って仕事をする場合も、リジェの判断で行動する場合もあった。ジョシュが計画し、トムがサポートし、私が手を下す。2年間、私たちはほぼ失敗知らずで過ごした。

 それがおかしくなったのはなぜか。それは、未だに私の中で消化されていない。分からないことが多すぎる。ただ事実だけを言えば、リジェは死に、その後釜にはライバルのロヴェールが座った。ジョシュは、何者かに殺された。私は、トムに逃がされて、フリーの暗殺者やボディガードとして生きることになった。それらをつなぐ糸は確かにあるはずだ。そして、チャンスはやっと巡ってきた。

 後ろでしたかすかな殺気に、振り向きざまにスローイングナイフを打ちつける。ニンジャのクナイを模したタングステン鋼の固まりは、壁に突き立ってふるえた。

「……アイリーン。ご挨拶だな。」

首を動かしてナイフをかわした格好の、トムが面白そうに笑みを浮かべて立っていた。

「来るのが遅いわよ。どこの女に引っかかっていたか知らないけど。」

「まだ妬いてくれるのか。嬉しいもんだな。」

軽口をたたき合う。これでいい。まずはトムの口から手がかりを引き出さなくては。アイリーン・マカランは、昔通りであると思わせておかなければならない。