ジルフィンの指輪(5)

 「私は、かつて、豊かな草原の国、緑なす丘の集う国、ロンダリアの王だった。もう憶えているものとていない、遥かな昔の事だ。わが国は豊かで、馬を駆る我らは、自由で、力強く、我らの日々は喜びに満ちていた。だが、我らの繁栄を快く思わぬものがいた。南の帝国、エディアの皇帝だった。彼は、我らの馬を欲し、我らの女を欲し、我らの緑なす土地を欲した。彼らは、我々を野蛮人だと考えていたのだ。私は、それが絶望的なものであろうと、戦わねばならなかった。剣を取っての戦いでは、我らは決して負けはしなかった。だが、魔道を我が腕のように使う彼らに、我らが如何に抗し得ようか。幾度かの戦いに敗れたとき、私は決心した。指輪を、世界を作り出したジルフィンの指輪を手にいれよう。そして、その力をもって、わが国を守ろうと。
 私は旅に出た、長くつらい旅だったが、友や、賢人の助けを得て、ついにこの指輪を手にいれた。私は、故郷へと急いだ、あの愛すべき草原の国へと。しかし私を待っていたのは、魔道の炎で焼かれ、荒廃した故郷と、家族や一族の無惨な躯だった。私は、我を忘れた、そして、指輪の力を使って、この世を呪った。私の国を、家族を、希望を奪ったエディアを呪い、彼らの住むこの世を呪い、彼らを生んだ神々を呪った。だが、その過ちは、取り返しのつかないものだった。指輪は壊れ、その呪いは、黒き神々を呼び、妖魔を呼び、戦乱を呼んだ。私は、自分の起こした事に、呆然としていた。その時だった、私が精霊達の手で神々の前に連れて行かれたのは。
 神々は、私を叱責し、責め苛み、呪った。だが、そんな私の前に二つの、傷ついた魂が現れた。それは、私の二人の妹だった。二人は、私をかばい、私のために神々に慈悲を請うた。その願いは、神々の母、エル神に届いた。彼女は、二人の魂を精霊とする事を代償に、私に新たな機会を与えてくれた。私に、呪われた、不死の身体を与えて、この世のどこかに再び現れるであろう、新たな指輪を探し出す事を課したのだ。」

 彼は、その呪われた身体を休めると、その動かない口を閉じた。
「あなたは、その指輪で、次に何を願うのですか。」
イリリアは、囁くような声で聞いた。
「それを、私も考えていたのだ。この永遠とも思える探索の間、ずっと。」
そして、彼は私たちの方に顔を向けた。
「私は何を願うべきなのだろうか。この世には、不正や、争いや、災厄が満ちあふれている。そのどれを正せばいいのだろうか。」
私とイリリアは、無言で顔を見合わせた。気の遠くなるような昔から、考え続けてきた彼に、私は何を言えばいいのだろうか。だが………私は、口を開いた。
「あなたはこの世を呪ったのですよね。呪いを正すには祝福すればいいのではありませんか?」
「だが、しかし、それでは何も変わらない。」
「そんな事はないわ、あなたが、この世界を見続けてきたあなたが、祝福するんですもの。それに、何も変わらないなんて事はないはずよ。エル神は言ったのでしょう。人間は、弱いけれど、可能性に満ちていると。」
横でイリリアが、うれしそうに微笑むのが感じられた。
 エンデュークは、少しの間下を向いていたが、不意に立ち上がった。
「ありがとう。おかげで決心がついた。私ははじめ、君達に出会ったのは偶然だと思っていたが、どうも、その偶然に感謝したい気持ちだ。」
彼は立ち上がって、指輪に向かった。彼は、おもむろにその指輪を手に取ると、しばし眺めて、その異形の指にはめた。
 彼はこちらに向き直った。
「神々よ照覧あれ。私は願う。この世に光りあれ、人々に希望あれ、世界に祝福あれ。」
その時の事を、私は、正確には憶えていない。ただ、辺りに光が満ちあふれ、何か、強い力が感じられた。私は、彼の姿を正視できなかったが、眼の端に映った、彼の真の顔が見えた。それは、穏やかで、幸福そうな、普通の人間の顔だった。その先の事は、よく分からなかった。ただ、遥か彼方へと遠ざかる、柔らかな笑い声だけが、記憶に残っている。