レスギンの獅子(9)

「そ、その・・・ソーティス卿。話はご理解いただけたかと思いますが・・・・。」
マルクは表情を変えずに城代の揺るぎがちな瞳を見据え続けた。城の会見の間には城代の他にダハルとリノンの二人の騎士と数人の従者がいるだけだった。入り口を数人の兵士が固めていたが、他の者はほとんど城壁にいるに違いない。城壁の外では得体の知れない敵の軍勢が次第に全容を表しつつある。その圧迫感は砦の中にまで伝わり、周囲の空気を緊張で満たしていた。
「ソーティス卿、どうかお気を悪くなさらないで欲しいのだが・・・」
「気を悪くなどしていませんとも、城代殿。」
平静な口調でマルクは城代の言を遮った。実際、マルクは怒りを覚えてはいなかった。すでに予期していたことなので驚いてもいなかった。マルクの心を占めていたのは、相手の意図を正確に把握する事、その一事だけだった。
「この砦の危急の折りに助力を求められるとは光栄の至りです。」
戦履召喚に応えるのは致し方がない。少なくとも二十以上は断りの口実を思いつけるが、どれを口にしてもマルクに与えられるのは騎士としての名誉ではなく密偵としての恥辱と死だけだろう。
「では、典範の定めるところにより誓いを交わすとしましょう。」
マルクは今朝方やっと典範の詳しい内容を思い出していた。戦履召喚は召喚主と騎士の双方が誓約の言葉を交わすことで成立する。召喚者のの誓約は常に決まっているが、騎士は言葉を自分で定めなければならない。
「ん、うむ。・・・あー、我、ジェレッセン=バウ=ミディオンは神々と・・・精霊の御名の下に誓うものなり。うー、かの者が助力を終えるときまで、かの者の言は我が言葉、あー、かの者の行は我が行なり。」
城代は横の侍従に誓言を逐一囁かれながら何とか宣誓を終えた。おそらくはダハルに教えられたのだろう。そのダハルは城代の横の座から憎々しげにマルクを凝視していた。
 城代の誓約に続いて、次はマルクが誓約を述べねばならない。騎士の誓約は召喚者の誓約に比べ意味が遥かに重い。騎士はその誓約を一字一句違えてはならないからだ。マルクは慎重に口を開いた。
「我誓う。我が名、マルク=レヴィス=グラムソーティスに賭け、我はこれなる兵と砦とを我が力能う限り庇護す。我、砦に仇為す者を敵とす。誓約交わしたる者これなる砦にある間、我約を違えじ。」
マルクは目を静かに城代に据えて淀みなく宣誓した。慎重に選んだ言葉だった。意味を正確に汲み取った者がいるかどうか、マルクはゆっくりと辺りを眺めた。ダハルはにんまりとしていた。策略が上手くいったと思ったのだろう。兵士の中には目立った動きを見せる者はいない。ただ、侍従のうちの一人が口元を微妙に歪めてマルクを凝視しているのに気が付いた。
 マルクは感づかれないようにその侍従を視界の端で捕らえながら観察した。まるで特徴のない平凡な感じの男だ。もうこちらを見てはいないし、他に変な様子もない。思い過ごしかとマルクは注意を城代の方に向けた。
「して、ソーティス卿には何処をお任せするのがよいか・・・」
「城代。東の城壁をソーティス卿にお願いしてはどうかと思うが。」
城代の言葉にダハルがすぐに応えた。マルクは軽く微笑みつつ口を挟んだ。
「ダハル卿。御深慮痛み入りますが、私は胸壁の守りに付かせてもらいましょう。傭兵だけに砦の玄関口を守らせるのは騎士としてどうかと思いますので。では、早速参るとします。」
マルクはダハルの反論も聞かずに、さっさと城代の前からきびすを返した。
「しかしソーティス卿っ!」
城代の声が後ろから聞こえたが、マルクは一顧だにしなかった。マルクはただの一言も『城代の命に従う』とは誓っていない。

 南南西方向にどっしりと腰を据えるレスギン砦の胸壁は、物見高い傭兵達で鈴なりだった。もちろん、胸壁に兵が配されるのは攻撃に備えてのことだが、鎧に身を固め武装した荒くれ者達はまるで祭りの行列でも見物するように敵の軍勢を指してあれこれ言い合った。マルクが胸壁に上がったときには見晴らしの良い場所はすでに占領されていて、敵の軍勢はまるで見えなかった。そこそこ上背のあるマルクだが、体格の良い傭兵達の人だかりに入ると前に進むのも難渋した。
「おおいっ!マルク!こっちへ来いよ!」
頭の上から声がかかった。見張り塔の上からがなり立てているのはパーボだった。
「やぁ!そこは見晴らしが良さそうですね!」
「てめえらっ!騎士殿に道を空けてさしあげろっ!ほれ、どけつ!」
パーボのかけ声でマルクは何とか塔に近づいた。
 塔の上からだと敵の陣容がよく見渡せた。五つほどに別れた敵の兵力はそれぞれ二千ほど。総数で一万を超えるかと言うところだが、今もまた西の森から一軍が合流しようとしていた。
「それじゃぁ、結局胸壁で戦うのか。何も好き好んで危険な場所へ来るこたねぇのによぉ。」
パーボはぼやいた。そういうパーボ自身の傭兵隊も当面は胸壁の守りに当たるらしい。胸壁の守備兵は三隊で三百人強といったところだ。他の傭兵隊長二人も見張り塔の上で見物を決め込んでいた。一人は中年で禿頭のラタール人でモランと名乗った。あまり締まった体つきはしていなかったが、表情はしたたかそうだった。もう一人は二十代後半と見える人の良さそうなイーリス人でアンセル=ジュローと名乗った。挙措端正な様子からし騎士階級以上の生まれであることは間違いない。騎士や貴族が傭兵隊長に鞍替えすることは珍しいことではない。その理由も経済的なものから退屈しのぎまで様々だったが、一様にして言えるのはこの手の人間には有能なものが多いということだった。無能な傭兵隊長は淘汰される。敵に殺されるか、さもなければ味方に殺されるか。いずれにしろ家名だけで生きていける世界ではない。
 マルクは3人の傭兵隊長と雑談を交わしながら、銃眼から敵の陣を詳細に観察した。軍旗は数多く揚げられていた。イシャー語の文字が綴られた長葉旗が二流に雄牛をあしらった紋章の軍旗が三流風にたなびき、他の傭兵団のものらしい幾分小振りな旗も無数に見て取れた。傭兵団のものはともかくとして、旗を見る限りは敵の正体はイシャー人とラタール人の同盟軍といった様子である。
「奴ら、仕掛けてこないな。」
パーボも漫然と銃眼の外を眺めていた。
「あの新しい合流軍の旗は・・鷹のようだね。イシャーにラタール、イーリスの軍の次はマイソミアの遊牧民でも現れるのだろうか。」
品のいい顔にあきれた表情を浮かべてアンセルがつぶやいた。マルクは首を振った。
「それはありませんよ。マイソミア人は金で動きません。イーリス人ともそりが合いませんしね。」
「こちらはマイソミア人を嫌っているつもりはないのだがね。」
マルクは愉快そうに口を曲げてアンセルを見た。
「マイソミア人は自分の部族の人間以外は大抵好みません。それに、文化や文明といったものを惰弱だと見なしているんですよ。」
アンセルは口をへの時に曲げて眉を上げた。
「ソロス人もそう思うのかね?」
「ソロス人全体がどうかは知りません。ただ、私個人のとしての見解を言えば、イーリスは概ね好きです。もし機会があればポントゥやロラに遊学したいとさえ思っています。」
「そういってもらえると嬉しいよ。」
アンセルはまるで自分自身が誉められたように笑顔を浮かべた。例えどんな境遇でも故国を思う心は無くならないのだろう。いや、故郷から離れているからこそ募るのが郷愁というものだろうか。
「話がはずんでいるところ申し訳ないがね。ソーティス卿、あんた、この戦は勝てると思うかね?」
モランは干し豆を囓りながら渋い顔で尋ねた。当人の表情が勝てる戦ではないと語っていた。マルクは思案深げな表情でゆっくりと口を開いた。
「やり方次第では、大勝とは言わなくても痛み分けくらいには持ち込めるかもしれません。もっとも・・」
マルクは先を言いかけて口ごもった。城代があれでは望み薄だと続けかかったが、それは口に出しても詮のないことだった。
「もっとも?」
モランはもう一つ干し豆を口に放り込んで先を催促した。他の二人も興味深げに聞いている。
「籠城戦は援軍の見込みさえあれば、彼我の戦力比が二十対一でも防御側には望みがあるものです。駄目と決めてかかるにはまだ早いでしょう。」
パーボは長々と嘆息した。
「籠城戦か。うちの隊は騎兵が主体なのに野戦がねぇんじゃ、くその役にも立たねぇな。」
「そうか、あなたはロンダリア人でしたね。なら傭兵隊も騎兵中心なのは当然ですね。」
「ああ。馬に乗れないような奴はまずうちの隊に入れねぇからな。」
ロンダリア人は、馬の上で生を受け一生を馬の上で終えるとさえ言われる平原の民だ。パーボの一言でマルクは、ちょっとした計画を思いついた。戦略的な目的と気晴らしを等分に含んだ計画を。マルクは真剣に思案しながら更に言葉を続けた。
「暗闇でも馬を駆れるのはどのくらいいます?」
マルクの口調に何か読みとったのか、パーボも真面目に答えた。
「四十二、三だろうな。暗闇で戦闘するとなるとそれ以上はちょいと無理だ。」
「三十人もいれば十分です。・・ふむ。どうです?今夜散歩に出かけませんか。」
パーボは最初怪訝そうに眉を寄せたが、次第に意味を理解して顎を撫でた。
「何か考えてるとは思ったんだが、夜討ちとはなぁ。騎士らしくないぜ?マルク。」
そう言いながらもパーボの顔はにやにやと表情を崩している。
「一騎打ちで名乗りを上げるばかりが騎士だと思われては心外です。それに、本当に散歩に行くだけですよ。ただ、こんな塔からじゃなく、実際に近づいて敵の様子が知りたいだけの事です。」
「へぇ、そうかい。まぁ、俺は理由がどうだろうとかまわねぇ。外の連中を脅かしてやれるんなら、その話乗るぜ。」
パーボがにやにやと笑みを浮かべて頷く横で、静かに話を聞いていたアンセルも興味深げにマルクを見つめた。
「私も同行してはいけないかね。私はこれでも湖岸の貴族同士の内部事情には詳しいつもりだ。敵を見極めるにも連れていって損はないと思うが?」
マルクは微笑んで頷いた。
「分かりました。一緒に来て下さい。」
「おい。」
 モランは目を細めてマルクを睨み付けた。眼光に兵士特有の殺気と凄みがあり、昨日の騎士とは一枚も二枚も格が違った。さすがに現役の傭兵隊長だけのことはある。怪訝な表情を浮かべたマルクは、真っ正面からモランの目を見つめた。
「何か気に障りましたか?」
「胸壁の部隊を二つ引っこ抜いてどうするつもりだ?がら空きになった正面から外の連中が突入するって寸法か?・・おめぇ、敵の密偵じゃねぇのか?」
「おいっ!何を言いやがる!」
パーボがモランに食って掛かろうとしたが、それを押し止めたマルクはゆっくりと顔に失笑を浮かべて頭を掻いた。
「何がおかしい。」
マルクの笑みをどう受け取ったのか、モランは剣の柄に手を掛けた。
「いえ。自分の間抜けさ加減に思わず笑ってしまっただけですよ。つい、都にいるときと同じ要領で事を運んでしまう。まず、簡単に説明させて下さい。」
そう言ってマルクはモランの向かいに座った。
「まず、少なくとも明日の夜明けまで敵の攻撃がないのは間違いのないことです。」
「なぜだ?」
いぶかしげに首を傾げたのはモランだけではなかった。
「先ほど敵に一軍が加わったのは見ましたね。旗の数や種類からしても、敵の規模は三国・七部隊以上です。しかしこれだけの兵力を持ちながらも、この砦の周りに包囲の軍を配置しつつ様子をうかがうように大きな動きを見せません。これは更なる部隊の到着を待っているのか、あるいは、攻撃の首尾がまだ決まっていないのでしょう。先ほどの一軍が荷を解き終わって陣営を築き、攻撃に加われるようになるのはどう急いでも明朝がいいところでしょうしね。」
「だがなぁ、マルク。連中がそんだけのんびりしてる理由が分からねぇ。どうして、とっとと攻め込んで来ねぇんだ。」
パーボは顎髭を掻きながら口を挟んだ。
「敵には兵力がそれなりにあるとは言え、その統制がしっかりととれている感じでもありません。寄り合い所帯にはありがちだと思いますが、主導権がまだはっきりしていないのかも知れません。
 それと、もう一つ考えなくてはいけないのは、敵には攻撃を急がねばならない理由がほとんど無いということです。取り囲んで兵糧責めは端から念頭に置いているでしょうし、長期化しそうなのは分かっているでしょう。これだけの要害です、二三日で落ちるとは思っていないでしょう。万が一我々が打って出れば野戦です。それこそ願ったり叶ったりでしょう。敵が懸念しなくてはいけないのはニカロン男爵の援兵だけですが、それも当面は考えなくても良いでしょう。何しろこの砦から男爵の本領まで優に一週間はかかります。援兵が来るとしても早くて二週間後ですからね。」
マルクの話を聞いていたモランは、鼻で一つ息をしてマルクを睨み付けた。
「おめぇの話は、まぁわかった。だが、おめえが敵に雇われた密偵でない証拠にはならん。」
「まだ言ってるのかよ。いい加減にしねぇと・・・」
「パーボさん、仕方ありませんよ。余所者の騎士がいきなり偵察を提案したら、誰だって疑いを持って当然です。」
そう言ってマルクはモランの方に身を乗り出した。
「モランさん。どうしたら信用していただけますか?」
「・・・・・・・。」
モランは沈黙した。モラン自身、目の前の若造が密偵だとは本気で思っていなかった。もし本気で疑っていたら口には出さない。ただ、胸壁の警備を手薄にして城外に兵を出すのは気に入らなかったし、何よりこの若造が『結果として』密偵が及ぼす以上の被害を与えるのではないか。そんな危惧がモランの心を捕らえていた。
「・・よし。俺も行く。もしお前が尻尾を出せばお前の首はもらうぞ。・・・・パーボの隊は他の隊に胸壁の当直を変わって貰え。胸壁から一兵も抜かない。」
「ありがとうございます。心配要りません。尻尾なんてありませんよ。」
マルクは顔に笑みを戻した。
「まったく、お前も神経質だな。分かったよ。スワイの隊に代わってもらう。あいつには貸しがあるからな。」
パーボは掌をひらひらさせて立ち上がった。
「集合時刻は?」
「日暮れ時に表城門前にしましょう。それと、兵には金属鎧と長柄の武器は持たせないようにして下さい。」
マルクは自身も立ち上がりながら伝えた。
「わかった。準備しておく。」
「吉と出るか凶と出るか、お楽しみだな。え?騎士さんよ。」
アンセルとモランも立ち上がり、下の兵に命令を伝えに言った。マルクは息を吐いて緊張を解いた。
「吉と出るか凶と出るか、か。決まってるさ。僕の運がこれ以上落ちる分けがない。」