レスギンの獅子(10)

「おおいっ!一体何のつもりだてめぇらっ!!」
 準備を済ませたマルクが馬を歩ませながら城門に近づくと、二百名を越える兵がごった返していた。その向こうからはパーボの怒鳴り声が聞こえてきた。マルクは集団から離れて並んでいるアンセルとモランを見つけて側に近づいた。
「アンセルさん、モランさん、この数は一体どうしたんですか。パーボさんの麾下の三十騎だけのはずでは。」
「すまん。ちょっと口を滑らせたら、あっと言う間に知れ渡ってしまって。あっちこっちの隊から抜け出してきたみたいだ。」
アンセルは申しわけの無さそうな様子で頭を下げた。
「呆れたぜ。この砦にいる傭兵は馬鹿ばっかりだ。」
モランは見事な黒馬にまたがって豆をかじっていた。格幅の良い体を革鎧に包み、凝った作りの剣を鞍壷においたその姿はなかなかに決まっていた。
「しかし、こんなに連れてはいけません。四十騎でも隠密行動するには多過ぎるくらいなんですから。」
マルクは当惑した。噂が広がったにしてもこの人数は異常だ。物見遊山に行くのではない。これから行うのは威力偵察なのだ。
「心配要らん。今、パーボが追い返してる。あ、おい!坊主!」
アンセルが止める間もなく、マルクはパーボの方に馬を進ませていた。
「おいっ!てめぇらっ!人の話を聞けっ!ええいっ!」
パーボは続けざまに怒鳴っていたが、傭兵達は一向に聞く様子もなくがやがやと騒いでいた。
「パーボさん。」
「おお!マルク!なんだか知らねぇが、こんなに集まっちまったらしくてな。いま追い返すから・・」
「ちょっと待って下さい。」
もう一度怒鳴り声を上げるために息を吸い込んだパーボをマルクは制止した。
「ん?なんだ?」
「私に話をさせて貰えませんか。せっかく集まってきたんです。ただ追い返してはもったいない。」
パーボは剣の柄頭を指で叩きながら思案顔でマルクを眺めた。この才子は人の前で話すこつは心得ていよう。しかし、傭兵はただの人間と同じではない。若年者はなめられたらおしまい、一目置かれてやっと対等に口が利ける。パーボはにやりと一つ笑ってマルクに道を譲った。
「お手並み拝見と行こう。」

「諸君、注目してくれ。」
城門の前に馬を進めたマルクは、声を荒げるでもなく端然と口を開いた。マルクの声は程良く通り、傭兵達は思いがけない若い声に視線を向けた。
「今夜の威力偵察に必要な人数は四十名だ。この四十名は例外無く騎兵とする。乗馬を持たない者は下がりたまえ。」
傭兵達はがやがやと騒いだ。その多くはマルクが誰か見当も付いていない。
「よう、坊主。一体何の・・・」
「騎馬のない者は下がりたまえ。速やかに!」
マルクはここで初めて声を高めた。傭兵達は驚きながらも興味を引かれたようすで、馬を持たない者達は城門の一団から離れた。騎馬の兵がパーボの部下も含めて六十名近く残った。マルクは表情を変えずに続けた。
「残りの諸君。君らから四十名を選抜する。エウス・ラクラーノ、『名誉の戦旗』が課題だ。」
そう言ってマルクは抜刀し、切っ先を鞍下に下げて左手の手綱を引いた。馬腹を鐙でしっかりと締めるとマルクの栗毛が後ろ足で立ち上がった。そのまま、数呼吸の間停止する。マルクが手綱を緩めると馬は静かに蹄を降ろした。
「片手で手綱を捌き、三呼吸の間乗騎を二足で停止する。抜刀は任意で構わない。」
「そんな曲芸で選ぶのかよ!」
傭兵が一人不服そうな表情で声を上げた。
馬術に自信がなければ辞退しても構わないが。」
マルクは静かに笑みを見せた。相手が言い返す前に言葉を続ける。
「号令とともに始める。まず、必要なだけ相互に距離をとりたまえ。パーボ隊長!」
マルクはパーボを手招きした。
「何をおっぱじめる気だ?マルク。」
怪訝そうに小声で尋ねるパーボに、マルクも囁き返した。
「あなたの麾下の三十名の他に、十名前後使えそうな者を選んで下さい。ああ、それと、あなたの部下でも馬を自在に扱えないのは要りませんよ。」
「ぬかせ。」
ぴしゃりと言ったパーボに、マルクは軽く会釈して見せた。
「では、お願いします。」
マルクは、準備の整った傭兵達に向かって剣を上げた。
「始め。」
軽くマルクの剣が振り下ろされると、傭兵達は一斉に手綱を引いた。嘶きや落馬の音などが辺りに騒然と響き渡った。

 数分後、パーボが選抜した人数はマルクの指示通りの三十八名だった。パーボは落馬した自分の部下二人を叱り飛ばして追い返したので、ロンダリア人の部下の他に十名が選ばれたことになる。マルクはその中に一人の少女が混じっているのを見つけた。鹿毛の軍馬に跨った小柄な赤毛の少女は、睨み付けるような視線でマルクを観察していた。マルクは口元の微笑みを大きくしながら赤毛の少女に馬を寄せていった。
「乗馬には良い夕べですね、お嬢さん。」
「はん、グラム人さえいなけりゃ言うこと無いんだけどね。」
マルクはからかうように笑みを広げた。
「残念だけどそうは行かないんだ。これを言いだしたのは僕でね。何ならお帰りになりますか?お嬢さん。」
「そのお嬢さんってのは止めな!」
「これは失礼を。」
マルクは馬上で丁寧にお辞儀をした。
「では、御婦人のお名前をお伺いする前に、先に名乗らせていただきましょうか。僕はマルク=レヴィス=グラムソーティス。グラムの血は入っていますが、間違いなくソロスの騎士です。信じる信じないは自由ですけどね。」
少女はマルクの芝居気のかかった挨拶に呆れた風で、口を引き結んで答えた。
「あたしはキャル=キャラ。みんな『スズメバチの』キャルって呼ぶ。さぁ、用は済んだかい?あたしは自分の隊長が誰なのか聞かなきゃいけないんだ。馬鹿丁寧な挨拶が済んだら向こうへ行きな!」
キャルはマルクを避けて馬を進めた。マルクは気にする様子もなくキャルの横に馬を並べた。
スズメバチ・・・どうしてだい?何か意味があるんだろ?」
「しつこい奴には一刺しお見舞いするからだよっ!ついてくんなっ!」
「上手いこと言った奴がいるなぁ。なるほど、スズメバチか。」
マルクが感心しながらそれでも横にいるので、少女は短剣を抜いた。
「昨日のお返しを今してやってもいいんだよ!さっさとあっちへ・・・」
「おい、マルク!編成なんだがなぁ!」
キャルの啖呵を遮ってパーボの声が響いた。
「何ですか。パーボさん。」
パーボは、思案顔でマルクに馬を寄せてきた。
「俺はうちの隊の指揮をしなきゃならんから、おまえとアンセルであの十人を動かしてくれんか?連中は予定外だったんでな。」
「ええ。是非・・」
マルクの声をさらに別の声が妨げた。
「アンセルはお前にやるから、その十人とこの坊主は俺によこしな。」
後ろから悠々とやってきたのはモランだった。
「しかしお前とマルクは・・・」
「パーボ。ぐだぐだ抜かすな。騎兵の十騎やそこら寝てても扱える。」
モランが凄みをきかせて言うと、パーボも諦め顔で言った。
「わかったよ。あんたの腕は知ってるからな。それじゃ、マルクはよろしく頼むぜ。」
「待って下さい。」
マルクが静かに口を挟むと、パーボは怪訝そうに、モランは不快そうにマルクに視線を向けた。
「怖じ気付いたか、坊主。」
モランの顔を端然と見つめてマルクは続けた。
「いえ。指揮を私にとらせて欲しいんです。」
「おい、坊主・・」
「経験不足だとおっしゃりたいのはよく分かります。ですが、元々この威力偵察を言い出したのは私ですから、そのぐらいの責任は引き受けたいんです。」
「じゃぁ、なにか?俺の命をお前の責任感に預けろとでも言うのか?」
モランは残忍そうな顔に不信感を丸出しで言った。マルクは冷静にモランに面した。
「あなたが不満を感じたら、その場で指揮を代わりますよ。」
「ふん。・・・まぁいいだろう。なら、さっさと兵をまとめろ。」
モランは顎をしゃくった。
「それではパーボさん、一刻後に裏の馬出しに兵を集めておいて下さい。こちらもちょっと準備をしたらすぐに行きます。」
「ああ。わかった。」
パーボが号令をがなりながら行ってしまうと、マルクはキャルの方に笑みを向けた。
「そういうわけで、隊長を捜す必要はないよ。」
赤毛の少女は、ふん、と鼻を鳴らした。キャルを尻目に、マルクは選に漏れた傭兵達に目を向けた。
「さてと・・・」

 砦の南東側の城壁には楼閣と一体になった馬出しが隠されている。胸壁の一番端に当たるこの楼閣は堅固なつくりで、首塁・門楼に続くこの砦の攻守の拠点である。首塁がほとんど機能していないことから考えてみれば、砦の死命を決するのはこの南東の楼閣の使い方如何と言うことになる。マルクがここの馬出しから出撃を決めたのはそういう意味もあるが、この楼閣が敵陣のある南西の方角から見ると稜線の影にギリギリで隠れることも計算に入っていた。この季節の南ラタールは風が強いものの良天が続く。微かに流れる竜牙海からの雲が、月明かりに照らされた葉の芽吹き始めた木立に静かな影を投げかけていた。その雲に隠れるように、四十騎の騎兵は門から進み出ていった。
 マルクの立てた偵察の計画は簡単な物だった。レスギンの丘の稜線に隠れて胸壁の側に迂回し、胸壁の正面に張り付いている敵を背後から突く。パーボの主力はそのまま敵の先陣を突破して胸壁の正門から帰還する。マルクとモランの別隊は混乱の間隙を縫って敵の本陣に接近し、出来る限り相手の様子を探る。単純そのものの作戦だった。
 マルクはパーボらと細かい部分まで打ち合わせていたが、稜線を下りながらモランは何度かマルクを問いただした。
「正面の兵数がお前の予想通りとは限らん。いや、予想通りだったとしても、パーボの隊が敵を蹴散らすのに手間取れば?」
「その時は、私の首を差し上げますよ。」
マルクが笑いながら答えるのに苛つきながら、モランは続けた。
「そういうことを言ってるんじゃねぇ。その時どうするのかってんだ、坊主。」
「私たちの隊が待機するのは胸壁前の敵が布陣している場所の東です。パーボさんの本隊は南から仕掛けます。もし本隊が上手く突破できれば我々は後退する敵を密かに追走しますし、もし駄目なら我々も突撃をかけます。この場合、偵察は失敗ですが。」
モランは変わらぬ不機嫌な顔でマルクをじろじろと見た。確かに、簡素でそつのない作戦ではあるが、そう考え通りに上手く行くだろうか。机上の名将が戦場で敗れるのを何度も見てきている。モランはマルクにも同じ危うさを感じていた。
「パーボがドジを踏みやがったら、俺に指揮を代われ。いいな。」
モランがマルクを凝視しながら言うと、マルクは平然と答えた。
「実を言うと、最初からそのつもりです。騎兵突撃なんて自分で指揮しても上手くやれるかどうか。あまり自信ありません。」
正直さに呆れたものだか感心したものだか分からずに、モランは溜息をついた。坂道を下るモランの黒馬も、つられるように鼻から溜息を漏らした。