レスギンの獅子(11)

 レスギン砦は南ラタールを覆うエセルの森林の外縁に位置する。レスギン砦の眼前で森は草原に姿を変え、西に大地を登り進むに連れて岩砂漠へと姿を変えていく。砦から出た一団は森に沿って進み、粛々と草原の中に迂回して配置についた。夜半過ぎ、闇の中に下弦の月が淡い光を投げかける中、砦に向けて配置についている一群の篝火が見えた。馬を引いて静かに近づいたマルク達は、敵の陣からわずかな距離に近づいていた。
「剣を抜かないように。月があるから照り返す。」
馬を下りて草むらの中に隠れて観察しているマルクは少し後ろの他の者に囁いた。
「あんた、ほんとに騎士なの?」
横から愛らしい声が疑惑も顕に響いたので、マルクはぎょっとした。すぐ側にキャルがいた。いつの間に近づいたのか、草の中にも関わらずマルクは気づきもしなかった。
「何故そう思う?」
低い声で問い返したマルクに、キャルは眉を上げて答えた。
「普通、騎士は奇襲なんかしない。それに、剣の照り返しに気が行くなんて、傭兵でもあまりいないと思うけどね。」
「自分で言うのもなんだけど、まっとうな騎士じゃないのは確かだよ。騎士になってまだ一年経たない。」
そういって、マルクは自分でも不思議になった。学院の徒弟で魔術師の弟子、剣も極めたとは言えない。まだ半人前の自分がいま、騎士として自分には無関係な砦を守るためにこうして奇襲をしようとしている。
「ん?・・・どうした、黙って。」
キャルはマルクの顔を覗き込んだ。マルクは苦笑しながら答えた。
「我ながら奇妙だと思ってね。なんでグラム人のソロス騎士がラタールで戦場にいるか、ってさ。」
「あたしは、どうやってあんたが騎士の位をだまし取れたのか、そっちの方が奇妙だと思うけどね。誰かの弱みを握って脅したとか?」
マルクはキャルの言葉に考え込んだ。ある意味でマルクが騎士にされたのはある事件の真相を口止めするためでもある。
「そう・・・言え無くもないかな。」
「へぇ、結構汚いことするんだ。」
「好きで騎士になったわけじゃない。それは本当だ。」
妙なことで感心しているキャルにマルクはわけもなく言い訳しなければいけないような気がして、言葉を添えるように口にした。口にしてから、この少女に抵抗無く話している自分に気がついた。この少女に自分は殺されかけたというのに。
「はぁ?ま、別にいいけどね。」
キャルはそう言ったが、マルクをじろじろと眺める様子は『どうでもいい』感じではなかった。態度も微妙に変わってきている。一体どういうわけだろうか。
「そういえば・・・どうしたんだい?自分から話しかけてくるなんて。」
そう問われてキャルは照れくさそうに頬を掻いた。
「えっと・・・さぁ。昨日のこと、謝った方がいいかな・・・とか思って・・・その」
俯いて言いにくそうに言葉を繋げる様子は妙に可愛らしかった。マルクは言葉を考えながら口を開いた。
「あれは別に・・・」
その時、馬群の駆ける音と角笛の音、そして突撃の喊声が響き渡った。パーボのロンダリア騎兵が突撃を開始したのだ。
「始まったな。キャル、準備しよう。」
マルクは静かに立ち上がると低く力のこもった声で皆に告げた。
「本隊の敵は人間だが、我々の敵は自分の忍耐力だ。逸って命を落とすな。」
愛馬の腹帯を締め直しながら、マルクは戦いの始まった敵陣を凝視して呟いた。
「出来れば、死者は一人も出したくないな。」

 敵陣を蹂躙する三十騎のロンダリア騎兵の先頭で馬を駆りながら、パーボは不満げな顔をしていた。あまりにも手応えがなさ過ぎる。二百人を越える敵兵は奇襲に対して脆すぎた。不審に思って敵兵の様子を見ると、どうもおかしい。こちらに向かって逃げてくる兵がいる。
 敵陣を抜けて疑問は氷解した。砦の正門が開き、兵が押し出していた。実際にはほとんど戦ってはいなかったのだろうが、挟み撃ちにされた敵は混乱したのだ。パーボは向こうから悠々と進んでくる傭兵の一団に声を掛けた。
「おーい!スワイっ!」
応えて手を振ったはロカール人の傭兵隊長だった。
「パーボ、助けに来てやったぞ。」
「余計な真似しやがって。おめぇがこんなお節介だとはな。」
「おいおい、勘違いするな。」
肌の焼けたロカール人は当惑した様子で答えた。
「ソロス人の騎士が夜襲にあぶれた連中に指図してたのさ。俺はちっとばかし兵が足らねぇと思ってよぉ。」
「あいつ!しょうがねぇ騎士様だな!」
パーボは必要以上に敵兵を殺さないようにソロス人の若者に釘を差されていた。潰走する敵を見ながら、結果としてはマルクの思い通りになったな、とパーボは独りごちた。
「もたもたするなっ!さっさとずらかるぞ!」
兵をまとめて砦に向かいながら、まだ動きのない敵の本陣に目を向けた。あとはあいつの腕次第だ。

 逃走する兵を着かず離れず追走して、マルクと十一騎は敵陣に容易に接近できた。敵は三つに別れて布陣しており、イーリスのどこかの公家の旗と傭兵旗がの群集っているところが一番大きかった。離れた二つはよく見えなかったが、おそらくはイシャーとラタールの軍が別れて布陣しているのだろうとマルクは類推した。マルクは傭兵の隊が集っている陣地の側に見える小高い丘に馬を進めた。丘の稜線の裏に馬を止め、他の兵にも馬を下りるように指示した。
「ここまでは上手くいったな、坊主。」
モランは低く響く声で言った。その声から、まだ安心するには早い、と言外に言っているのが分かる。
「これから偵察するわけだが、まず、イシャー語の分かる者はいるか?」
答えた者は誰もいない。モランが、片側の口角を上げて渋い顔を見せた。
「俺だけみたいだな。坊主、お前は?」
「片言なら分かりますが、きちんとした教育を受けたことはありませんね。話せないのと同じです。」
「まぁ、イシャー人以外でイシャー語が必要な奴なんてあまり居やしないからな。」
マルクは頷いた。イシャーの人と社会は余所者に対して閉鎖的、いや、敵対していると言っていい。
「ではモランさん、申し訳ないんですが、彼らを連れてイシャーとラタールの布陣を偵察してきていただけませんか。兵数、装備、それと攻城兵器の有無と種類。出来れば、食糧をどれくらい持ってきているかも分かると助かります。偵察が終わったら、そのまま砦に戻って下さい。」
「おい、お前はどうする気だ?」
「私はあの中へ潜り込んでみようと思います。」
淀みなく言い切って、マルクはイーリス軍の陣営を指した。険しい表情をしたモランはマルクを睨んだ。
「おい、まさか敵に情報を売る気じゃねぇだろうな。」
さすがにむっとした表情でマルクはモランを見据えた。
「異国の騎士と言っても、騎士の誇りくらいは心得ているつもりです。何なら、白と黒と万色の全ての神々に賭けて誓ってもいい。」
気色ばんだマルクの様子に、モランは意外そうな表情で答えた。
「やっと怒る気になったらしいな。俺は面と向かって怒らない人間は信用しないことにしてる。分かった、お前を信用しよう。」
モランは初めて屈託のない笑みを漏らした。男らしい笑顔だった。
「そう言うことだったんですか。」
マルクは肩をすくめた。人に試されるのはあまり好きではなかった。好き嫌いに関わらず、学院、宮廷、そして師匠との旅の日々、常にマルクは試され続けてきたのだが。
「それにしても一人は不用心ってもんだ。何人か連れていけ。」
「一人の方が動きやすいんですよ。」
マルクは首を振った。だが、モランも引く気はない。
「駄目だ。お前が帰らないとパーボに義理が立たねぇ。」
しばらくマルクは考え込んだ。隠密行動にはそれなりの自信がある。いかに練達の傭兵とて、足手まといになる事には違いない。何より、人前では魔導の技を使うことが出来ない。やはり断るしかない。
「いえ、やはり私一人で・・・」
「あたしが行く。」
口を挟んだのはキャルだった。
「ああ、おめぇか。スワイの隊の奴だったな。うーん、嬢ちゃんの噂は聞いちゃ居るが・・・」
「あたしなら、足を引っ張ったりしない。あたしは斥候でドジったことなんてないよ。それに、あたしはこいつに借りがあるんだ。」
モランは値踏みするようにキャラをじろじろと観察した。
「いいだろう。アーズ、ケリス、お前らはイーリス人だから見つかってもそう目立たねぇだろう。お前らはここで二人が帰ってくるまで待ってろ。」
「モランさん!私は・・・」
「いいか、若いの。お前が自信満々なのは分かるが、俺はお前を見てると心配になってしょうがねぇ。どうしても一人で行くって言うんなら、お前をふん縛って砦に連れて帰るまでだ。」
マルクは溜息を吐いた。この人は本当に殴ってでも僕を引きずって帰るだろう。
「分かりました。彼女と一緒に行きますよ。腕前は分かっていますから。」
「それでいい。」
マルクが不承不承でも了承したのを見ると、モランはマルクの肩を叩いた。
「無理するな、若いの。キャラ、お前も無事帰ってこい。」
そういって黒馬に跨ったモランは兵に命令を飛ばした。
「よし。お前ら馬に乗れ、夜が明ける前に砦に戻らないとな。」
「気を付けて。またあとで会いましょう。」
マルク達が見守る中、モランと兵達は馬を進めて闇の中に消えていった。
「僕たちも行くとしよう。アーズさん、ケリスさん、馬をお願いします。」
マルクは鞍頭に覆いをかけた盾を掛け、足首の拍車を外して鞍袋にしまった。鞍袋から念のために短剣を出して剣帯の背中に吊るす。キャラは何の準備もせずに馬を渡しただけだった。
「そのままでいいのか?」
「どうしてもいる物は普段から身につけてるさ。」
昨夜を思い出してマルクは苦笑した。あれがどうしても必要な物だろうか。ともかくも今は急がなくてはいけない。マルクは二人の兵士に手綱を渡すと静かに告げた。
「一刻以内には戻ります。もし戻らない場合は迷わずに砦へ戻って下さい。」
きびすを返したマルクはキャラに合図を送って歩き出した。
 イーリスの陣地へと足を運びながらマルクは尋ねた。
「どうして一緒に来るなんて。」
「借りがあるって言っただろ。騎士さん。」
「僕はマルクと呼んでくれ。ところで本音は?何か他に考えがありそうだ。」
キャラはくすくすと笑って悪びれずに答えた。
「息抜きって言ったら怒る?」
「そんなとこだろうと思ったよ。まぁいいさ、別に。」
マルクはつられて笑いそうになりながら肩をすくめた。