レスギンの獅子(12)

 陣営の中はだいぶ混乱していた。今夜の奇襲が効いているのだろうが、二人は人目に触れる事無く潜入することが出来た。マルクは必要に迫られてこの手の潜入を何度もした事があるので、いわばお手の物だったが、キャラはそれ以上に手慣れていた。マルクを普通の騎士ではないと言ったキャラ自身、やはり普通の傭兵とは言えない。年の若さを考えれば二人はある意味で似ていた。
 マルクは迷わずに本営を探し当てた。イーリスの布陣のやり方はグロクスティアのそれと同じくエディア帝国の教練書を踏襲している。ほぼ正方形に四周を囲み、柵を立てる。本営は中央に置き四方に向けて広く道を空ける。もはやこの布陣法は習慣を通り越して信仰に近かった。本営の側にはさすがに警備の兵が多かったが、頻繁に行き来する伝令の応対に忙殺されているようで、二人が物陰伝いに近づいても気付く様子がなかった。二人はまだ天幕が立てられているだけの本営に忍び寄った。マルクは聞き耳を立て、中の様子を探る。キャラはその後ろに立って周囲に目を配った。中からはイーリス語の話し声が聞こえる。マルクは目を閉じて言葉を拾おうと意志を集中した。
「いかが致しましょう。カネイ伯に苦情でも言ってやりますか。」
「カネイ伯よりも問題はあのラタールの馬鹿どもだ。兵の使い方も知らんくせに騒ぐことは一人前だ。全く、砦一つ満足に包囲できんとは。」
傲慢な物言いの方はまだ声が若い。声の響きに覇気と奢りがある。まだ三十路は超えていまい。もう一人の方は参謀格だろうか。
「そうは言いますが、あの砦は難物ですよ。いや、あの規模は城と言った方が良いでしょう。」
「城でも砦でもかまわん。とにかく一兵も出させるな。いや、明日から一斉に攻めたてろ。奴等のやり方は手ぬるい。」
「あの規模の外郭です。普通に攻めてもそう簡単には落ちないと思いますが。」
「俺に意見か?随分と偉くなったもんだな、アルベルト。」
「滅相もございません、ラエル様。私はただ一般論を・・・」
「俺に一般論などいらん。俺を誰だと思っている。とにかくあれを落とせ。首尾良く落とせば俺は次のイリンブル大公だ。本家のボンクラどもにそろそろ時代が変わるときだということを教えてやる。」
そこで、マルクの肩をキャラがつついた。マルクは剣の柄に手をかけ、鋭い視線を向けた。気付かれたのだろうか。
「ねぇ。なんか聞こえる?」
ふぅ、と溜息をもらしたマルクは、安堵の反動で怒りが漏れるのを我慢しながら目を閉じた。
「聞こえる。もう少し待ってくれ。」
意識を少し乱してしまったので中の会話を拾うのに少し手間取ったが、マルクは再びイーリス語の会話に集中した。
「ところで、傭兵の数が少ないな。五千は集めろと言ったはずだぞ。」
「イーリスやメディア、ミシュラールでもめぼしいところへは声をかけてあります。これ以上増やすとなると、小さい傭兵団や前金だけでは動かない連中にも声をかけねばなりません。」
「かまわん。小さかろうが何だろうが駆り出せ。後金はあの砦の財宝で払うと言え。」
「その件ですが、密約は漏れていませんでしょうな。」
「心配するな。傭兵どもはそこまで気がまわらん。」
そこで陣幕の向こう側に動きがあった。誰かの来訪を伝える声と中の二人が動き出す気配だった。マルクは周囲に注意を払った。兵営の雑然とした雰囲気は収まりつつある。そろそろ潮時だ。
「キャル、そろそろ行こう。」
退屈していたのか、キャルは嬉しそうにマルクを見た。
「収穫は?」
「上々だ。帰りながら話そう。」

 陣営から脱け出し、馬のもとへたどり着いた二人は、二人の兵士と合流して砦を目指した。遅蒔きながら反応した敵軍は砦へと向けて兵を動かしつつあった。思っていたよりも帰路は険しくなりそうだ。時刻は朝方の二刻近くだろうか。まだ白む気配のない天では雲は姿を消し中天の月明かりは辺りを冴え冴えと照らしていた。マルクは連れの三人にも注意を促しながら神経を澄まして森の外縁へと馬を進めた。
 森まであと一息と言うところで一群の騎馬兵の接近に気がついた。一番先に蹄の響きを聞きつけたのはキャルだった。
「マルク、後ろから兵が来る!二十騎はいるよ!」
キャルの切迫した声に、マルクは落ちついた声で答えた。
「速度を上げよう。我々を追って来ているわけではないだろうが、見つからない方がいいだろう。」
だが、大した距離も進まないうちに今度は前を疾駆していたケリスが声を上げた。
「前にも兵がいる。森の中を進んでいるみたいです。どうします、騎士様。」
「数は?」
「かなり多そうです。百近くはいるかと。」
マルクは険しい顔で後ろを振り返った。どうやら、後ろの兵は遠目にマルク達の姿を見つけたのだろう、全速ではないが速度を上げながらこちらへ馬を進めていた。マルクは逡巡せずに砦の方を指した。
「森には入らずに砦に向かう。この辺ならばまだ敵は包囲をし終えていないはずだ。急げっ!」
 馬に拍車をくれてマルクは乗騎の勢いを上げた。三人もそれに続く。砦はほんのすぐ先の様に見えたが、後ろの騎兵は逃げ出したマルク達を明らかに敵と見なしたのか勢い込んで追って来た。敵は砦の方に回り込もうとしていた。砦に着くか追いつかれるか、多少分の悪そうな賭だったがマルクの気がかりはむしろ森の中にいるらしい伏兵の方だった。もし騎兵に追いつかれて手間取れば、間違いなく挟撃される。そうなれば、マルク達は良くて虜、悪ければ殺され身ぐるみ剥がれて犬の餌である。マルクは懸命に馬を駆った。疾走する愛馬の上でマルクは一向に縮まらない距離に歯がみした。
 やがて砦まで指呼の距離まで近づいた頃には、敵兵との距離も互いの姿が判然とするまでに縮まっていた。マルクが後ろを向いたその時、敵兵が騎上で石弓を構えだした。
「気を付けろ!矢が来るぞ!」
マルクが叫んだ瞬間、乾いた音とともに数本の矢が空気を引き裂いて飛来した。マルクは自分を狙った矢を盾で受けとめた。その衝撃にぐらついた瞬間、横を疾駆していたキャルの馬が激しく音を立てて倒れた。
「キャル!」
素早く体勢を立て直したマルクは馬首を巡らせて抜刀した。
騎士様!」
「来るなっ!援兵を呼べ!!」
先行していた二人が続きかけたのをマルクは怒鳴って止めた。闇で少女がどうなったかは見えないが、置き捨てにすることは出来ない。マルクの喉から静かなつぶやきが漏れる。魔を呼ぶその韻律を風に乗せながらマルクは二十騎の敵めがけて馬を駆った。
 敵兵からは無謀な突撃を始めたマルクをめがけて次の矢が打ち出された。その矢はマルクの目の前で闇に吸い込まれるように消え失せる。マルクの紡ぐ韻律はいつしか雄叫びの声へと変わっていた。
「らあぁぁぁぁぁぁ!!」
一個の凶器と化した騎士は馬軍の中に刺さるように突き込むと、動揺する間も与えずグラミカ刀をひらめかせた。冴え冴えとした月明かりを照り返す魔剣は瞬時に三騎を切り捨てていた。突然の出来事に呆然とする敵兵に、マルクは殺気に満ちた眼差しを向けた。
「我が名はマルク=レヴィス=ソーティス。貴様ら、ソロスの青騎士に敵する自信があるなら相手になるぞ。」
マルクは返事を待たずに馬に拍車を入れた。その動きは次の獲物に襲いかかる猛獣のそれだった。我に返った敵兵のうち数人が馬首を返したが、反応の遅れた二人がものも言わずに落馬した。
「ば、ばけもの!」
一人の兵が悲鳴を上げて逃げ出すと、堰を切ったように騎兵は算を乱して消散した。束の間、マルクは殺気立った表情で逃げる敵兵を見ていたが、静かに息を吐くと周囲を見渡した。
「キャル!どこだ!」
馬を操って闇の中を見回すと、倒れた馬の影から声が聞こえた。
「あつつぅ・・マルク、あたしここだよ。」
マルクは安堵の溜息をもらした。刀の血を振り払うと鞘に収め、キャルに近づいた。キャルはふらつきながらも自分で立ち上がった。傍らの馬は後ろ足に矢を受けていた。矢傷で均衡を失った馬は前のめりに倒れたのだろうか、首の骨を折って絶命していた。馬の有り様を見ると、キャルが生きているのは奇跡的だとさえ言えた。
「怪我は?動けるようだが、何処か折ったりしていないか?」
「大丈夫だよ。とっさに後ろに飛んだから、かすり傷だけさ。」
平然とした口調だったがその声には少し震えがあった。マルクは馬上からキャルに手を差し出した。
「ほら、お嬢さん。砦まで送って差し上げましょう。」
「ちぇ。からかうなよ。」
そう言いながらもキャルは以外と華奢な手を出してマルクの手を握った。マルクは自分の鞍の前に少女を抱き上げた。
「あの、マルク・・・その、助けてくれて・・・あれ?」
キャラの声にマルクは周囲を見回した。そしてその視線の先、森の木立の外れに数騎の騎兵を見つけた。
「森の伏兵・・・か。」
マルクは緊張して目を凝らした。だが、騎兵の一団はこちらを見るとそのまま森の中に消えてしまった。
「何だろう?どうしてこちらへ来ない。」
「気がつかなかったんだろ。」
マルクが眉根を寄せて考えるのに、キャルは簡潔に答えた。マルクは納得がいかなかったが、今はそれを詮索する暇も無い。周囲をもう一度見回してマルクは馬を東の楼閣へ向けた。
「言い忘れたけど、マルク・・・・・ありがとな。助けてくれて。」
キャるは俯きながら言いにくそうに言った。
「また借りが出来た。返そうと思ったのにな。」
「ああ、・・・気にするな。」
マルクは浮かない声で答えた。五人から命を奪うのにほんの数瞬しかかからなかった。これで遂に自分も言い訳の出来ないところへ来てしまった。
「暗いね、マルク。」
「夜だからな。」
「そうじゃなくてあんたが暗いっての!どうしたんだよ。」
「人を殺したのは二度目なんだ。出来れば殺さずに済ませたかった。」
キャルは肩越しにマルクの顔を覗き込んだ。真剣な悔悟の表情が浮かんでいた。
「マルク。あんた、変な奴だね。ほんとに。」
「僕は、死ぬまでにあと何人の命をこの手に掛けるんだろう。そう思うと暗くもなるさ。」
キャルはあまりにうじうじとした態度にいらついて怒鳴ろうかと一瞬思ったが、にやりと笑って振り向いた。
「ねぇ、マルク。」
「なんだ?・・む!?」
不意に、キャルの唇がマルクの唇に重なっていた。突然の出来事に面食らったマルクに、キャルは不敵な笑みを浮かべて見せた。
「元気出せよ。な!」

 砦に入るとまず、馬の前にパーボが飛び出してきた。他の面々も居たがひどく騒がしかった。それも、ひどく動揺している風に見える。キャルを降ろしながらマルクはパーボに問いかけた。
「何があったんです?」
「驚くなよ。」
もったいぶった風でなく、パーボは真剣に言った。
「城代どもが夜逃げしちまった。」
「はて、さて。」
曖昧な合いの手を返したマルクは途方に暮れた。これは呆れるべきなのだろうか、それとも笑うべきなのだろうか。天を仰いだマルクの視線の先で、ラタールの夜空が白んでいった。