レスギンの獅子(13)

 レスギン砦の城館でもっとも広い場所は城主の食堂になる。そこにこの砦の主立った傭兵隊長たちが顔をそろえていた。末席に座らされたマルクは、そこに居並ぶ7人の傭兵の顔を順に観察して幾日か前に自分が出した結論を再確認した。アンセルを除けば若い者でも三十路を半ば近く過ぎている。もっとも年長のクラースは五十を幾つか過ぎているだろう。この男たちは少なくとも十年以上戦場を住処としてきた、選りすぐりの傭兵たちだ。あるいは、その間に稼業を変えられなかった運の良く無い男たちと言っていいかも知れない。
 そんなマルクの思考をよそに、男たちは前後策を話しあっていた。
「・・・結局のところ、外の連中に降伏するか、さもなければ今のうちにずらかるか、二つに一つだろ。悩むことはねぇ。抜け目のない城代殿に習って俺たちもさっさとずらかればいいのさ。」
「しかし・・・」
「しかし、なんだ?連中に降伏するよりゃ、ずっとましだと思うぜ?それとも何か?おめぇはそんなにこの古城に未練があるのか?」
先ほどから熱弁を振るっているのは、ボーミントと言う傭兵隊長だった。おそらくは二番目に若い傭兵隊長だろう。口髭を蓄えた四十前のラタール人。頑健そうな体には幾つかの傷跡も見え、おそらくは腕も口も立つのだろう。彼は席に着くなり自論を振り回していた。それを諫めようとしているのは年長者のクラース。マルクはずっと、それを興味なさげな顔で聞き流していた。いや、正確にはそういう振りをしていた。
「まどろっこしい話は抜きでいいだろ。さっさと決を採ろう。」
口髭のラタール人は食卓を拳で叩き、話をまとめにかかった。
「よかろう。」
ここでモランが初めて口を開いた。だが、それきり口を閉じると目でボーミントに採決を促した。そのあと、静かにマルクへ目を向けた。マルクは一瞬目を合わせて、また興味なさそうに目をそらした。
「じゃぁ、俺と同じでさっさとずらかる方に賛成な者!」
四人が手のひらを食卓の上に上げる。その中にはアンセルの手もあった。
「決まりだ。スワイは棄権だと言っていたしな。さっさと荷造りでもするか。」
ボーミントが席を立とうとするのへ、マルクがよく通る声で言葉を投げかけた。
「降伏を選ぶものは?」
卓の上に手を差し出す者は居ない。
「おい、坊主。何のつもりだ。」
ラタール人が不快げに目を向けるのを、モランが手で制した。マルクは一座を見回して続ける。
「様子を見るべきだと思うもの。」
マルクが手のひら上に向けて静かに卓へ置くと、モラン、パーボ、クラース、そしてアンセルが続けて手を差し出した。
「おいっ、どういうことだっ!この小僧はなんだっ!」
ボーミントが口髭に唾を飛ばしてわめく。モランが一度その顔をにらみつけ、手にした短剣での柄頭で卓を叩いた。ラタール人が口を閉じたのを見てクラースに目配せをする。モランの仕草に頷いて、クラースは口を開いた。
「彼はソロスの青獅騎士。マルク=ソーティス卿。」
「ああ、例の騎士か。で、そのソロスの小僧が・・・」
ラタール人がすかさず言い返すのに、マルクは口を挟んだ。
「クラースさん、私のことよりも、まずは外の敵について彼に話すべきでしょう。」
「・・・そうですな。」
頷いたクラースは改めて口を開いた。
「城外の敵はイーリス・ラタールの諸侯とイシャーの連合軍だ。」
「んなこたわかってる。だからずらかるんじゃ・・」
「その数はおそらく一万五千を下らんだろう。既に包囲も終わっていると見た方がよかろうな。」
パーボが頷いて先を促した。
「城代らがどういうつもりだったかは知る由もないが、儂らは逃げ出す機会を連中に奪われたんじゃよ。」
「・・・何でそうだと言い切れるんだ。」
ラタール人はクラースの目に視線を置いて問いつめるように言った。
「城代が逃げ出したとき、ちょうど儂らの隊で強行偵察を仕掛けていたのでな。まず間違いない。」
「ちっ。」
ラタール人はいらだたしげに舌打ちをして席に腰を下ろした。
「となると降伏しか道がないってわけか。」
「それも良策とは言いかねます。」
マルクはボーミントに初めて話しかけた。
「おめーは何なんだ?さっきからいちいちけちを付けやがって。」
「話を聞くだけで損をするとは思えませんが?ま、降伏するなら止めはしませんが、私は巻き添えになって外の連中に嬲り殺しにされるのは遠慮します。」
「続けろ。」
ラタール人は焦げ茶の瞳に殺気を滲ませてマルクを見やった。マルクは首をすくめて言葉を続ける。
「外の軍隊は南イーリスのティルチ家を中核にした混成軍ですが、その多くは南ラタール諸侯の軍です。また、イシャーの兵はカネイ伯と親族のものです。手っ取り早く言えば、ニカロン男爵に恨みを持つもの達、と言うわけです。」
ここで指を立て、マルクは注意を促す。
「ただし、兵の方はそうではありません。彼らの多くは皆さんと同じ傭兵です。しかも、前金以外はもらっていない。後金はこの砦の財宝で払う、そういう話になっているからです。」
マルクが既に話をしていた四人は軽く頷いただけだった。だが、他の三人は驚きに目をむく。
「財宝だと?」
ボーミントの声にマルクが頷く。
「ええ。この砦にはニカロン男爵が旅人からむしり取った通行税がうなる程ある。そう、皆信じています。」
「ばかな!金は週ごと男爵のところへに城代が送っていたぞ!この砦にそんな金なぞあるものか!」
「知っていますよ。ただ、外ではそうではないんです。トラヴィスからこの砦までの街道で知らぬ者は居ないでしょう。」
マルクは軽くほほえんでラタール人をなだめた。
「つまらない風説ですが、この風説に踊らされた者が一万人近くもいるとなると、つまらないとも言っては居られないでしょう。誰がそんな噂を流したか、それは言うまでもないでしょうね。」
マルクは自分の言葉が三人に浸透するまで待った。
「外には金に目のくらんだ傭兵を率いる、恨みと妬みを抱えた領主達が勢揃い。降伏して『金はない』と言っても聞いてはくれないでしょう。少なくとも今は無理です。」
そこで言葉を切り、マルクはモランに視線を送った。モランは面倒くさそうに頷いた。
「で、坊主の言うには、行くも進もならないから様子を見よう、ってことだ。」
モランが不機嫌そうに言うと、ラタール人が反駁した。
「それでどうなるってんだ。降伏も逃げるのも無理なら、このくそ城でみんな仲良くくたばれってのか?冗談じゃねぇ!」
「これは、俺達の考えだが、」
モランが他の三人、パーボ、アンセル、クラースを指して言う。
「とりあえず城に籠もって身を守る。んで、連中の頭が冷めた頃を見計らって話し合いでも試してみるか、そう考えてる。もちろん、男爵のところにも伝令で援軍をよこせと言ってやるがな。」
「それで、・・・俺達は生きてここを出られるんだろうな。」
モランはさらに不機嫌そうにこう言いきった。
「やれることはやる。うまくいけば生き残れる。それが俺達の原則だ。違うか?」

 籠城の準備を話し合い、分担が決まった頃、マルクは眠気との戦いに負けかけていた。モランが仮の城代として指揮を執り、まずは砦の食料と水源を確認する。城外に斥候を出し、念のため本領への援兵も要請する。等々。砦に戻ってきてその辺の話は既にモランやパーボと決めてあったので、マルクは口を挟む機会もなくただ成り行きを聞いているだけだった。瞼が落ちかかってきたところへ、パーボの声がかかった。
「マルク、さっき聞き損ねたんだが・・・」
「・・・なんですか?」
首を軽く振ってマルクは眠気を払った。食事と睡眠。生理現象が鬱陶しくなる。もし眠らなくて済むならばどれだけ楽なことか。そんな思いがふと、疲労したマルクの頭脳の中をあてど無く彷徨う。
「おいマルク。」
「あ、はい。」
「・・・しっかりしてくれよ。」
嘆息して続けるパーボの顔にも、幾分かの疲労の色が影を落としていた。
「敵の大将の名前を訊くのを忘れていた。おまえさん確か、そいつが話しているのを聴いたんだろ。」
「まぁ。副官がアルベルトで、その指揮官の名はラエルとか。」
「ラエル・イロ・パレモ・レ・ティルチ」
不意に声が響く。それはモランの低い声だった。
「ティルチ家のあのガキか。それはいい。」
「御存知なんですか?」
マルクの問いかけにモランは笑みを漏らした。
「貪欲にして狡猾。堕落した豚の糞より汚い、貴族の鏡のような男だ。奴には貸しがある。」
その顔に浮かんだ表情は、マルクが一度も目にしたことのない残忍な笑みだった。


 日も高く上がる頃疲労困憊して部屋に戻り、寝台に潜り込もうとしていたマルクの耳に、戸を軽く叩く音が聞こえた。着衣をあらかた脱ぎ捨てていたマルクは躊躇したが、仕方なく上着を羽織って戸口へ向かった。
「誰?」
不機嫌に扉を開け、マルクは外を窺った。
「マルク。ちょっと話が・・・」
そのまま声が止まる。赤毛の女が一瞬目を見開き、その後無遠慮にだらしない有様のマルクを上下に観察して一言言った。
「あんた、もうちょっと何か着なさいよ。その格好じゃ風邪ひくわよ。」
「なんだ、キャルか。誰かと思った。もう寝るつもりだったんだよ。・・・・・・。寒いから中に入りなよ。服を着るから座っていて。」
マルクは、扉を開けてキャルを招き椅子を勧めた。
キャルがまじまじと見つめるなか、マルクは脱いだばかりの騎乗袴と上衣をゆったりと身につけた。徒弟生活が長かったせいか、他人に着替えを見られても気にはならない。
「あんた、結構いい体つきしてるのね。ひょろっとしてるからあまり筋肉がついていないのかと思った。」
「ああ。曲がりなりにも騎士だからね。甲冑を着て馬に乗るくらいは何とかこなせる程度には鍛えられてるよ。」
「…古傷とかも結構ある。」
「ソロスの青師騎士団は意外に荒っぽいんだ。叩き上げの人が多いから。」
着替えを済ませたマルクは、感心したのか困惑したのか奇妙な面もちのキャルの前に座った。
「で、何の用?」
「え?あ、そうそう。話し合いの様子がどうだったか訊こうと思って。うちのスワイ隊長は胸壁の見張り当番で出られなかったらしくて、うちの隊の連中焦れちゃって。どういう訳かあたしがあんたから聞き出してこいって成り行きになったのよ。なんだか、うちの隊の連中あんたとの仲を勘違いしてるみたいでさ。別にあたしは…」
面白くなさそうに言うキャルの顔が心なしか赤いような、マルクはそんな風に思いながらキャルの長い台詞をぼんやりと聴いていた。
「…で、賭で負けたモノは仕方ないし、しょうがなく来てやったってわけ。…聴いてる?」
「うん。聴いてるよ。なんか大変だったみたいだね。」
二人の視線が合うと、もう一度キャルが赤面した。慌てたように赤毛の少女は話を切り換えた。
「そ。それで、どういう感じになったの?」
マルクはかいつまんで会議の様子を話した。籠城策に決まった事を告げると、キャルは目を輝かせた。
「やっぱりね。そうなると思ってたのよ。」
「実際、外の兵力を破って脱出するなら、城代達は一番いい時を選んだと思うよ。おかげで、僕らは置いてきぼりを食ったわけだけど。」
「それにしても、あいつら逃げ足は見事だったわね。あたし達が偵察に出るタイミングにピッタリ合わせたって言うか。」
マルクは軽く溜息を付いて答えた。
「たぶん、いざとなったら逃げ出す算段を前々からしていたんだろうな。知らなかったとは言え、結果的に僕が手助けしてしまったようなものだな。」
物思わしげなマルクの言いように、キャルは笑顔で返す。
「まぁまぁ。別に残ったあたし達が明日あさってに死ぬわけでもないでしょ。気にすること無いわよ。男爵だってみすみすこの砦を渡すとも思えないし。援軍が来るまでなら何とか持ちこたえるわよ。」
『援軍が来ないかも知れないよ』と言いかけて、マルクは口を噤んだ。それは言っても始まらないことだし、言うべきでもなかった。城代らが男爵の命令で城を放棄したかも知れない、などと一言でも言えば、この城に残った傭兵達はただの烏合の衆と化す。そうなれば、全員の命を外の金に飢えた連中に預けることになる。
「どうしたの、マルク。」
「あ、いや。」
言わずに済ませるなら言わない方がいい。マルクは強引に話を変えた。
「それにしても、キャル、なんだか嬉しそうだね。」
「え?…そ、そんなこと無いわよ。」
キャルが慌て顔で否定する。そのあと、何となく二人とも沈黙してしまった。お互いに相手の様子を窺う。結局先にしびれを切らしたのはキャルの方だった。
「ねぇ、マルク。あんた、この城を出た後どうする?」
「うーん。」
思案顔のマルクをキャルの瞳が覗き込む。
「キャル、君は?」
「あたしは…そうねぇ。」
同じく思案顔になるが、すぐににやっと笑って答えた。
「エディアのお姫様にでもなろうかな。あんたがホントにソロスの騎士だったことだし。」
「そうですね。それでしたら私は、世にも珍しい赤毛のエディア姫様に最初に忠誠を誓う騎士にでもなるとしましょうか。」
にやにや顔で見つめ合った二人は、同時に吹き出してひとしきり笑った。こうやってふざけあうと、なんだか心が軽くなる。マルクは久々にこんな感じを味わった。
二人の息が整い、お互いの顔をにやにやと見つめていると、外が急に騒がしくなった。窓から流れ込んでくる風に、低く響く太鼓と、甲高く鳴る銅鑼の音が乗っていた。そして、軍靴の音、鞘走りの音、弓弦の音、風切りの音、そして悲鳴。いつしかそれは戦場という混沌とした一つの音へと変わっていった。
「始まったね。」
「ああ。」
それは、長く語りぐさになる籠城戦の幕開けを歌う歌だった。