烏たちの憂鬱(1)

 空は青かった。限り無く青かった。
 『青い空なんか嫌いだ』
 月並みな台詞を呟いてみたが、あいも変わらぬ憂欝な授業は続いていた。『妖精界物理学』。二言目には「不確定性」、三言目には「カオスそのもの」・・・不可解なモノを前にして子供がだだをこねているのと同じだ。大体、大学の授業のほとんどは退屈で不毛な物なのだ。君は教育の意義を認めないのか、と聞かれそうだが、そうではない。ただ、この授業には意義を感じないだけなのだ。
 窓から外を見ると、女の子達が地球から来たスポーツをやっている。名前は、確か・・・ハディントンとか言っていた。ラケットとか言う、先の平たくなった棒切れで、羽根の付いた玉を宙に叩き揚げている。羽根玉は上に揚がるとゆるりと降りてくる。スポーツになっていない。何が楽しいのか。きっと重力が弱いここより、地球のような星でのほうが楽しめるのだろう。
 講義は佳境に差し掛かっていた。しょぼ目の教授が盛んにごにょごにょうめいている。この人はその道に知られた人だが、僕に言わせればただの老人だ。
 今日はサナに会いに行こう。
僕は、老人がうめき終わるのを待った。

 サナのコンパートメントはカジェッタ通りにある。僕はトロッタを駐機場から出して、キーを入れた。ドライヴが軽く振動して動き出すと、トロッタは地面と距離を置いた。トロッタは一番身近な反重力機器だ。地球で使われた、バイクという車輪機器が原型と言う事だ。博物館で見たが、なかなかごつい代物だ。今のトロッタの、跨るだけの乗り物というイメージとは程遠い。しかしフォルムは近いと言えない事もない。
 ともかくも、荷物をかついで、愛機ロッソ=ジェガーノに跨る。こいつはトロッタの中でも大柄で、うつ伏せになる形で腕をのばさないと、グリップに手が届かない。グリップを握り、ペダルを踏み込むと、ジェガーノは走りだした。
 街は、平日の昼下がりのせいか、閑散としていた。並木と街並が恒星スーサの日差しを浴びて美しい。街をジェガーノで流して行くのはなかなかの気分だ。この美しい大学の街・シンメトリーの道は知り尽くしている。ジェガーノはマニュアル操作でカジェッタ通りへ向かった。
 サナのコンパートメントは古風な一軒家で、平屋建ての木造モルタルに金属製のガレージが付いている。小さな庭があって、そこには地球のカエデという樹が植えてある。その下の地面では、金属の動物の親子がこっちを伺っている。サナが創った猫らしき物のオブジェだが、なかなか愛嬌があって、僕が通ると必ず挨拶をよこす。僕は、ジェガーノを止めると、ガレージに入った。
 「サナ、居るかい。」
 ガレージの中には、雑多な金属が転がっていた。アルミ、チタン、ニッケル。ボロニウムのがらくたはきっと船の外板だろう。その真ん中に2メートルくらいの金属塊が鎮座ましましている。その脇から頭がのぞいた。サナはマスクを取って額の汗を拭いた。
「やっ、シルカ。授業は?」
作業着の上半身を脱いで、サナが言った。にっこりと笑った頬に油が付いている。女の子に似合う格好ではないが、僕はそれはそれで悪くないと思う。無造作に束ねられた黒髪が、白いタンクトップのアンダーシャツに鮮やかだ。
「午後からは自主休講。」
僕が言うと、彼女は金属塊を睨みつけ、腕を組んだ。
「あんまりさぼってるとまた留年するわよ。・・・なんかいまいちだなぁ。」
「その話はやめてほしいな。」
金属塊を眺めながら感想を言う。
「どこが『OK』でどこが『いまいち』なのかいまいちわからないんだけど。」
ふう、と大きくため息をついてさなは母屋の扉の取っ手をつかんだ。
「お茶でも入れるわ。」

 ダイニングは相変わらずゴタゴタしていた。テーブルの上はアルミの蛙もどきどもがわめきながら占領しているし、ソファにはシーサーとかいうどこぞの怪物が笑っている。僕は荷物を下ろして、床にあぐらをかいた。
「コナ?それともシミズ?」
「シミズ」
しばらく待つと、湯呑みを持ってキッチンからやってきた。
「どーぞ」
「グラッシャス、サナ」
湯呑みを受け取ると、御茶をすすった。サナの入れる御茶は心が安らぐ。
「良い所に来てくれたわ。仕事の話があるの。」
湯呑みをふーふー吹きながら、彼女が言った。猫舌の彼女は熱いのが苦手だ。いつもの事だ。御茶を吹くのも、唐突な切り出しも。
「さっき、クリスティアンから連絡があったの。今度のはちょっと厄介かも知れないわ。」
「話せよ。どうせ引き受けちゃったんだろ。」
サナは、クスリとして、お茶を一口吸った。
「スーサ大の研究生で、カンナ・ニトシュカって娘がいるの。地球連邦の御偉いさんの独り娘でね、今年十九に成るんだけど、大学に古代文学の研究で来てるの。」
「へーえ。お前さんと同じじゃないか。」
「あたしの親父は金持ちなだけ。あなたの家の方がすごいじゃない。」
「ただの変人さ。」
ここだけの話だが、サナは星間コーポレーション・ブラギット=トレーディングの会長令嬢だ。もっとも十四人兄弟の十一番目だけれど。うちの家族については、たいして言う事はない。魔女の家系で魔法がちょいと使えるだけの事だ。
「で、その娘がどうしたって。」
「誰かに付け狙われてるらしいの。それも、ふつうの方法じゃないわ。一度家に花が送られて来たのよ。」
「結構な事じゃないか。」
「彼女に噛みついたのに?」
「そりゃ非道い」
僕は、ゆっくりとお茶を吸った。動揺。この話には『同族』のにおいがする。
「手に負えないから、僕等に何とかしろと。」
「ご明察。」
ウィンクして見せると、お茶を飲み干した。しばし湯呑みを眺めたかと思うと、サナは立ち上がった。
「シャワー浴びてくる。一時間もしたらクリスティアンの事務所に行くから、その辺で待ってて。」
そう言うと、つなぎを脱ぎ散らかして、サナはバスルームに消えた。

正直言って、僕は今回の仕事はあまり乗り気でない。サナと僕は、クリスティアン=ハーマックの事務所で、デバッグの仕事をしている。デバッグとはつまり、社会の虫を取り除く事だ。別に正義ぶるつもりはないが、多くの場合、僕たちの仕事は、依頼者のトラブルを解決する事だ。もちろん可能な限り平和的方法で。だが、今度の仕事はただ事では済みそうにない。噛みつく花なんて、科学の仕業では有り得ない。ふつう科学はそんな悪趣味な事はしない。科学的現象で無いならば、とどのつまり、得体の知れない敵、おそらくは『同族』を向こうに回さなくてはならないと言う事だ。だが、それだけに、放って置く事のできない事件でもあると言える。このスーサ〓には三家十二人の同族がいるが、星系全体では七家二百二十一人、広義の『同族』を含めると知りうる範囲でも三百は越える。辺境とはいえ星団首星系ともなると人の出入りも激しい。相手の特定は困難だろう。ひとつ、心して掛からねばならないようだ。
 腹を据えると、意外に落ちついた。サナの入浴が長い事は分かっているから、一寝入りする事にした。アルミの蛙の一匹が笑ったような気がしたが、気にするものか、睡眠は人間の資本だ。僕は目を閉じた。

シルカ!起きて、シルカ!」
目を覚ますと、そこには、サナの不安げな顔があった。そこで初めて、自分の呼吸が荒い事に気付いた。目に涙が溢れていた。
「良かった。また、発作かと思った。」
サナが、僕に抱きついて安堵の溜息をついた。
「大丈夫だよ、夢だよ、きっと。」
サナの肩を抱こうとして、自分の手が何か握っているのに気付いた。僕の手は傷だらけで、血が滲んでいた。そして、その手に、黒い鳥の羽根を握っていた。僕は、彼女に気付かれぬよう、それをポケットにしまい込んだ。
「ひどくうなされていたわ。何かひどい夢を見たのね。」
彼女は、僕の涙を拭いてくれた。
「何も憶えていない。だけど大した夢じゃ無いよ。」
僕は無理に笑った。彼女を安心させるため、そして、自分の恐怖を隠すために。僕は何の夢を見たか、いや、夢を見たのかさえも判然としなかった。まぁ、いい。こういうことはふかかいでも、必要ならばいずれわかるモノだ。生きてさえいれば、だが。
下着姿の彼女は、僕の笑顔を見て安心したようだ。僕は笑って言った。
「心配ご無用。さ、お嬢さん、服を来て出かけましょうか。」

 クリスティアン=ハーマックは、四十がらみの気の良いおっさんだ。デバッグ、つまり探偵業を生業としているだけの事はあって、未だに中年の寄る年波を辛うじて退けている。しかし、男所帯の悲しさか、彼の事務所の有り様は改善されている様子はなかった。とにかく、僕とサナが行ったときの彼は、肉まんをかじりながら、書類に目を通していた。
「よお。来たか、色男。まあ座れや。」
知り合った当時の彼は、渋く、強く、厳しい、という、三拍子揃った男に見えたものだが、最近はこの調子。
「クリス、依頼について詳しい所を聞かせてくれないか。」
クリスティアンは、(余談だが、本来の名前にも関わらず、彼は仏教徒だ。あまり敬虔ではないが)口に肉まんを頬張りながら、答えた。
「それなら、サナの所に送ったので全部だ。それじゃ、不十分か?」
「まあ十分とは言い難いと思うわ。」
サナが答えると、クリスティアンは、お茶を一口飲んだ。
「そう言われてもなぁ。詳しいところは自分達で調べてくれよ。」
いつもの事ながら、これには参る。まあ、こう言われたら、あきらめるより仕方無い。もう何も出ては来ない。
「判った。詳しい事は向こうで聞く事にする。」
ふつうここで報酬の話になるのだろうが、僕ら二人には関係ない。サナは大財閥の令嬢だけあってお金に困ったことはないし、一風変わったオブジェの芸術家として十分すぎる収入がある。デバッグは、純然たる趣味だ。僕は、クリスから直接報酬はもらえない。修行中の身なので、僕の稼ぎは一族の管財人に送られる。
「それで物は相談なんだけれど、僕らはどこまでやっていいんだ?」
「どこまでと言われてもなぁ‥‥」
クリスティアンは頭を掻いて、椅子に座り直した。
「ともかく、依頼内容では、依頼主を守り、可能ならば相手の行動を中止させる事、となっている。」
「じゃあ、その為に最善の行動を取ればいい訳だね。」
「そうだな。」
クリスティアンの目が、いたずらっぽくこっちを見つめた。デバッガには司法権も逮捕権も捜査権も認められていない。だが、そのほとんどは拡大自衛権を申請すれば合法的に可能だ。
「じゃあ、納得いったようだから、お二人さんともお仕事に行ってくれ。」
「クリス、あなたは何にもしないの?」
サナが言うと、クリスティアンは書類をひらひらさせた。
「別にもいっぱいお仕事があるの。」
「じゃ、お仕事と仲良くどうぞ。」
僕たちはカンナ=ニトシュカの家に向かった。