レスギンの獅子(1)

 レスギン砦は大グラム山脈の最南端を背にして聳えている。その偉容は、ラタール・イシャー・マイソミアの3地方をなんとも不遜な眼差しで睥睨していた。眼下に広がるイシャーとラタールにまたがる丘陵地帯は、鬱蒼とした木々に覆われて緑の波を描き、その先には巨大な内海・青銅海が横たわっている。反対側の西にはもう一つの海、マイソミアの砂漠が広がっている。普段は風光明媚な僻地として、マイソミア街道を急ぐ商人や”疾く往く者”ベラスに仕える伝令の目を楽しませるこの地方も、今や傭兵が闊歩する戦場となっていた。彼ら兵士たちの目的はただ一つ。レスギン砦に秘められた莫大な財宝である。砦の中に山と詰め込まれているという、四方から集められた貨幣と貴重品のうわさは、青銅海周辺で知らぬ者が居ないほど知れ渡っていた。
 三方を深い谷に囲まれた丘陵の尾根に城郭と五つの補塁を配してを建設された屈強なこの城塞は、今やラタールで最も有名で、かつ最も富裕な男・ニカロン男爵の所有物となっていた。そもそもレスギン砦は、旧エディア帝政時代末の戦乱期にアマルハム帝によって『文明と野蛮を分かつ柵』として築かれたものだ。それ以来この砦は、何度も南の蛮族、すなわちマイソミアの剽悍な遊牧民や、イシャーの誇り高き武人たちを退けてきた。だが、この歴戦の古強者も、新たに所有者になった守銭奴によってただの金庫番にされてしまった。男爵はこの峻厳な『威き城』を自らの財産の保管場所としたのである。それだけならば並の守銭奴に過ぎないが、男爵は、三方に広がる街道をしっかりと押さえることのできるこの砦の地の利を放っては置かなかった。男爵領の入り口に位置するこの砦を、税関としても活用し始めたのである。
 この砦が男爵の持ち物になってからしばらくというもの、無法とさえいって良い高関税にイーリスやミネアの豪商たちは悪夢にうなされ、メディアやグロクスティアの投資家たちは怒り狂う事になった。街道の通商品の税を引き上げただけならまだしも、男爵は人頭制の通行料を取り始め、挙げ句の果てに軍馬からロバ、果ては馬車まで階級を決めて通行税を取り立てたのである。砦には傭兵隊が常駐し、行き交う旅人からはあたかも山賊の根城ように思われていた。
 レスギン砦の目の前を通る街道は、マイソミア街道、別称南の大街道の名で呼ばれる交易の一大動脈で、青銅海周辺の交易人達が南方から入る希少な香辛料、香木、薬、宝石、あるいは工芸品といった商品を供給するのに欠かせない道であった。機敏で才覚のある商人はレスギン砦のおかげで物資の供給が鈍ると、すぐさま北回り航路、あるいはロカール街道からの仕入れに切り換えたが、いかんせん危険と輸送費は跳ね上がった。一部にはそれで大儲けする者もいたが、多くの商人は店を閉めたり負債に苦しんだりした。

 ニカロン男爵ダルク=オーウェンノ。エディア人の血を引く彼は今はなきラタール王家の系譜も遠く受け継いでいる。端整な容姿で折り目も正しく政戦ともに駆け引きに優れていたので、大衆にはなかなか人気があった。ただ、やり口の汚さや非情さ、加えて私欲の深さから、陰で『軍馬に乗った守銭奴』『金狩人』などと呼ばれていた。この男にとって戦争すなわち荒稼ぎの手段であり、金儲けとはすなわち政治そのものであった。他の国ならば(例えるならソロスなどでは)、男爵程度の貴族が思うままに関税をかけたりすれば、他の君主や国王から叱責や非難が相次ぎ、貴族として立ち往かなくなるのだが、此処ラタールでは話は多分に違った。
 ラタールに侯爵以上の貴族が居なくなって久しい。百四十年ほど前に正統な王室が絶えて以来、内外の勢力が千々に乱れて争い、今や『ラタール』という国家は地上に存在しないといってもいい。この地方最大の実力者が、北から勢力を伸張してきたグロクスティア帝国の属領総督という有様である。
 ラタール北部ではじわじわと浸食を進めたグロクスティア帝国に『ラタール属州』として編入される土地も多く、独立した貴族でも皇帝に剣を捧げる者が多い。中央部ではトラヴィスとララッタの二つの伯爵家が、百年になろうかという王位を巡る闘争を未だに続けて睨み合い、青銅海の対岸であるイーリスの都市国家群を巻き込んで混迷の度合いを増していた。二伯爵家のいつ果てるともない睨み合いから離れている南部は、人・ものともに豊かな土地柄ながら人物には乏しく、ニカロン男爵一人が常勝を恣にしていた。
 男爵の非凡なしたたかさは、王位を巡って睨み合いを続ける二つの伯爵家どちらとも無難に接しながらも、属領ロカール総督と手を組むことを選んだことにも現れている。男爵はいわば、二匹の雄牛が血を流しながら戦うのを、舌なめずりして眺めているヒョウといったところだった。そのヒョウは牛が共倒れになるのを待ちながら、レスギン砦という牙で南の街道を食い荒らし、その身を肥やしていた。
 この権力に賢く戦場での駆け引きも一流のニカロン男爵にしては意外なことに、掌中の玉であるレスギン砦が新たな敵対者たちを産んでいることには無頓着だった。男爵自身は、新しい財源が出来たくらいにしか考えていなかったのだろうか、それは分からない。男爵の思惑がどうあろうとも、街道が事実上使用不可能となったことは大陸全体に波紋を及ぼしていたのだ。
 レスギン砦が男爵の掌中に帰してから約一年が経ち、最初に動いたのはイーリスの交易貴族達だった。イーリス・イリーンブルの大公家、ソフォー一族を中心としたイーリス南部の諸侯はたちは、彼らの金脈の上に陣取る目障りなニカロン男爵に灸を据えるべく、ラタール南部とイシャーの諸侯を結託させたのである。陣頭に立ったのは、イシャーのカネイ伯だった。好戦的で知られるイシャー人としては変人といえるなほどに温厚で知られるこの伯は、とある事件から妻の身代金を男爵に払わされ常にもあらず激怒していた。この伯の領地に集結した傭兵・私兵の数およそ一万六千。数で言えばグロクスティアの四個軍団に当たる数が、春先の蓄えの少ない時期をねらってレスギン砦に襲いかかったのは、ソロス歴で918年3月、エディア歴で3012年の早春節のことであった。

 マルクの故国・ソーリア王国は、最東方の領地であるロカールがグラム山脈を間においてラタールと接しており、この混乱とも無関係ではない。接しているといってもせいぜいグラム山脈の麓までが通常人の住める限界なので、ロカール・ラタール双方の住民が頻繁に行き来するわけではないし、直接戦火が飛び火するわけではない。ただ隣国ラタールは、ソーリアにとって掛け替えのない意味を持つ交易路であるロカール街道の中継地でっあた。
 大陸西岸最大の都市であるソロスの首都ソーリアを発したロカール街道は、ソロスからロカール川に沿ってのびて行き、グラム山脈の峰々の間を縫ってラタールへと至る。ラタールで街道は二つに分かれる。北へ延びた道は名をアロニウス街道と改め、グロクスティア帝国、ロンダリア平原を経て北の果てケレソニアの地で秘石海に出会うまで続く。一方、東へと延びた道は青銅海を越えたイーリスからメディアの文明の地を経て、新エディア帝国に至る。花薫るエディアの先は竜牙海が広がり、大小さまざまの島々が散らばる。ロカール街道は大陸の北西海岸一帯を領有している大国ソーリアにとって、紛れもなく世界への出口なのだ。そしてラタールは、ロカール街道の玄関口にある。かつて蛮夷の地と呼ばれた西方の国にとって、東方とはすなわち文明のことであった。
 ソーリアが東方に進出するとすれば、出口はラタール以外にあり得ない。北東を竜の民の住むグラム半島と天険グラム山脈に、南東をマイソミアの砂漠に阻まれているソーリアにとって、はるかロカール高地の向こう側であるラタールは目の離せない土地だった。ラタール人がもし統一されてしまえば、ソーリアの宿願である東方への進出は容易には果たせない。かといって千々に乱れ続ければ、自国が勢力を伸張する以前に他の強国、特に二百年来の敵国グロクスティア帝国の切り取り放題になりかねない。現に今ラタールでは、グロクスティアの『属領総督』が幅を利かせている。
 イーリスの策謀によるレスギン砦攻撃の情報は、ソーリアの首魁達の耳にも入っていた。レスギン砦によるマイソミア街道の『封鎖』はソロスにとって思わぬ幸福をもたらしていた。南の大街道の起点であるミネアはソーリアのかなり南方に位置する港町だが、南方交易ではソーリアの最大の商売敵である。しかしレスギン砦の影響か、今までミネアを経由していた交易品の多くはソーリアを経由することとなり、ソーリアの市場は活況を呈していた。ソロスとしては、砦がこのままならば取りあえずは言うことがないのである。
 しかしこのレスギン砦に対する攻撃がより大きな戦火を呼び、グロクスティアに大手を振って介入するに足る口実を与える可能性も大いにある。グロクスティアにラタール全域を押さえられることだけは、国益から言っても面子から言っても絶対に避けなければならない。ソロスとしてはどちらにせよ、何らかの手を打つ必要があった。
 だが、ほとんど難癖に近いとはいえ一応出兵依頼に答える形を取ってラタールを浸食しているグロクスティアに比べ、ソーリアには大儀も名分もない。加えて近年は貴族の対立・内訌もあって、ソーリア国内が安定しているとは言い難い。ラタールに戦火の火種が臭いだし、それが自国の将来を大きく左右することが為政者達には明かでも、民衆をして兵たらしむるだけの理由も余裕もなかった。実際、国を挙げて派兵を決められるような事態はロカールが戦場となったときだけであろし、そうなったときすでにソロスのロカール介入などは笑い話のたねにもならないだろう。ソーリアの指導者たちは強行派兵か外交操作か揉めに揉めたた挙げ句、たった一つにおいて妥協に達した。密偵を数名派遣し情報を再検討する。つまりは『棚上げ』と同じであった。
 この決定をただの棚上げとは受け取らなかった人物が一人いた。それはソロスの宰相・ラタス伯爵レイモン=ロゴス卿その人だった。この黒衣の宰相は狐の心と獅子の威厳を持った男だったが、それでもこれは十分すぎる難題だった。万の兵を持ってするべき戦略を十指に満たない数で成し遂げるとは言わないまでも、わずかの間でロカールの現状を把握しその情勢をソロスにとって不利にならないように進めなければならない。それ故、密偵の人選が全てを決める。一流の密偵を多く飼うこの宰相にも、それだけの頭脳と行動力の持ち主は思い浮かばなかった。いや、いると言えばいる。それも二人。ただしひどく若い。頭の中で思いついた無謀とも思える人選を、ラタス伯はゆっくりと反芻した。その心に浮かんだのはある書物の一説だった。
密偵は練達無名をもって上とし、貴種不覚をもって至上とす。』密偵をする必要のない身分のものこそが最も有用な密偵となりうる。だが、当人が密偵であることを知っていてはならない。古の格言を現実のものとするべく、宰相はある近衛騎士と公爵の子息に白羽の矢を立てた。
「ソロスの十年先を担うことになるのがどちらか、試すにはいい機会かもしれん。」
宰相は一人笑みを漏らした。