レスギンの獅子(2)

 マルクが王都ソーリアを旅立ったのは、年が明け、新年の大聖祭で都市中が賑わっている最中だった。黒衣の宰相・ラタス伯の命令は謎めいたもので、ラタールである人物に内密に接触し一通の封書を手渡せというものだった。宰相の名高い『眠り獅子』が鑞に刻印された巻物と王国勅使の割り符を渡されたマルクは、居心地の悪さを十分に堪能した。一つには年始の馬鹿騒ぎの最中に呼び出されたせいでひどい身なり(その日のマルクはひどく酒臭かった)だったせいだが、なによりもこの宰相こそが、彼に近衛騎士という苦労の割に報われることの少ない役割を与え、ある女性に彼が寄せた思いを断ち切らせた張本人だったからだ。もっとも、どの理由も多分に逆恨めいていることは彼自身重々承知していたが、それを納得できるほど大人でもなかった。

 そもそも、偶然と悪意の産物である半年前の反乱未遂事件に関わってしまったことが、マルクの不幸の始まりだったと言っていい。その事件で彼は、七年を共に過ごした親友を自らの手に掛け、淡い思いを抱いていた女性が決して手の届かない相手なのだということを思い知った。権力という巨大な怪物の前で自分がいかに無力であるか、現実という動かし難い物の前で自分がいかに夢想家だったかを知り、大人になることの意味を悟って醒めた感慨を覚えた。
 ソーリアを揺るがしかねなかった反乱を未然に防いだとして、マルクは近衛騎士に叙勲された。これはこれまで以上に厄介事に巻き込まれることを意味していたから、マルクは決して喜びはしなかった。たしかに名誉なことではあった。若干十六歳の学院の徒弟が近衛騎士に叙勲されるのは、決して日常的にあり得ない名誉だ。ましてや血統的に3/4までグラム人である彼には望むべくもない出世だと言えよう。
 この抜擢は多くの憶測と嫉妬を呼んだ。これは当然と言えた。ソーリア王立学院はソーリアの文化・学問の最高学府であるが、貴族や有力者が自分達の子弟や推薦する少年達を送り込み、将来の人材を育てるために鍛える教育機関でもある。ただ、開明的なソロス南部の貴族やロカール街道沿いの利に聡い有力者に比べてソロス北部の貴族は保守懐古の風潮が強く、学院自体に賛同している者が少ない。彼らが学院出身者に向ける眼差しが暖かいわけがなかった。また、王立学院を実際に運営しているのはリュムナサール十七導師会、平たく言えば魔導士の協会であった。この協会は大陸の西方で最も力を持つ団体と言ってよかったが、都市部はともかく地方では未だに魔導士も魔術師も十把ひとからげに忌避されている。マルクはこの学院の徒弟であったが、同時に十七導師会の徒弟でもあった。これは言ってみれば、初めて騎士になった魔導士と言うことになる。マルク自身は、ただでさえ半人前の魔導士なのに騎士など出来るわけがないと思っていたが、周囲の目はそうではなかった。
 ソロスの真珠の宮廷では、伝統的に派閥争いが絶えない。一番大きな対立はソリス=アロウナつまり南部ソロスと、ソリス=アルカペスすなわち北部ソロスの相克であるが、そのほかにも利権や民族などから小さな派閥がいくつもある。だが、マルクはその中で孤立していた。マルクの父はロカールとソロスの境に領地を持つ地主だが爵位のない騎士階級でしかないし、人種的に偏見をもたれやすい竜の民グラム人である。母はソーリアの富豪であるエクシンヌ家の係累だが、祖母が駆け落ちして出来た私生児という経緯からそちらとも縁遠い。マルクが学院に入ったのは七年前の十歳の時でそれ以来宮廷に出入りする機会はあったが、親しくなったのは王家の人々と学院での友人達だけであった。周囲の人々から見れば、魔導士の弟子だという得体の知れないグラム人の少年が王家の人々と親しくしている事自体、面子や感情から言っても甚だ面白くないことこの上ない。加えてその少年が同年代の誰よりも早く近衛騎士になったのだ。それは目障りを通り越して危険であるとさえ映った。

 図らずも、ソーリアの真珠色の王宮で最も年若い騎士になってしまってから、マルクには気の休まる時がなかった。近衛騎士の務めは王宮の警護、市内巡回、王族の警護、式典の警備などだったが、マルクはおそらくは意図的に王族の警護に回された。王族の警護というと晴れがましく聞こえるが、激務ではないにしろ心理的疲労がたまる仕事だった。貴人の前では欠伸一つ出来ない。それに、宮廷の花・三人の王女に会うことが多かった。これは役得ではなくて拷問だった。マルクが思いを寄せても決して叶えられない相手とは、第二王女イリリアに他ならなかったからだ。
 イリリアはソロスのじゃじゃ馬というありがたくない呼び名を奉られていたが、それは彼女の正義感や行動力の結果に過ぎない。マルクと彼女はこの七年を兄妹のように一緒に過ごした。恋情とは知らず知らずのうちに育ってしまうものなのだろうか。出会ってから六年を経て、二人が大人への階段をともに登っていくのも終わりに近づいたときに、マルクはイリリアへの親しみが愛しさに変わっているのに気付いた。だが、その気持ちを認識した時には、もうすでにそれが叶わないものだと十分に理解できるほど世に明るくなりすぎていた。宰相が告げた彼女の婚約者のことも結局はただのきっかけに過ぎない。マルクはこの気持ちを殺してしまわなくてはならない。親しげに話しかけるイリリアを強いて冷たくあしらってはみたものの、それはイリリアとマルク自身の心を傷つけただけで、そのあってはならない感情が無くなるはずもなかった。
 宮廷内で彼のライバルと目されていたマラケシュ公の末子・ロクエルの突然の出奔も大きかった。人のうわさにはマルクの近衛叙勲を憤激しての事だという。マラケシュ公爵はソリス=アロウナ最大の実力者であるが、その末子は父の実力抜きでも十分に一国を切り回せるであろう才能の持ち主だった。学院の後援者の息子としては奇妙なことに彼は学院に入らなかったのでさして親しくはならなかったものの、幾度か言葉を交わしたこともあったし彼の言動はよく耳に入った。彼は掛け値なしの天才で、かつ紛れもない変人だった。変人と言って語弊があれば、生粋の貴族という言葉でもいいだろう。年少時から彼の言動は風評に上ってはいたが宮廷に出入りするようになってからの逸話も多く、軍事には鋭い意見を発しマルクと同じ年齢にも関わらず歯に衣着せぬ斟酌のないもの言いで、相手がどんな立場であろうと妄言を許さなかった。決して人好きがするとは言えないロクエルであったが、彼の才能や性格をうらやんでいたマルクは彼の出奔を惜しんだ。もっとも宮廷が苦手な彼としては、自分より目立つ存在が居なくって格好の矢避けがなくなったと言う意味も大いにあったが。

 ともかく、小ソロス・ラテルノの相続人にして近衛騎士、マルク=レヴィス=グラムソーティス卿という称号は、それだけですでに十七歳の小僧にとって荷が重い役回りであった。騎士としての務めさえ充分に果たしていると言えない彼をわざわざ呼びだし密命を与える以上、何らかの裏がないはずがない。宰相が偽装としてラタールへ向かう隊商の護衛をするよう手配をしていたことからも、それがただの邪推ではないと確信できた。ただ、それを問いただすことなど残念ながら出来はしないし、たとえ尋ねたところで本音が返って来はしない。不承不承任務を拝命し宰相の前を早々に退散したマルクは、翌日には準備を整えて出立した。隊商の一行と従者のラドビクが、彼のあまりの手早さに目を白黒させて泡を吹かんばかりだったことだけが、愉快と言えば愉快だった。

 旅程は至極順調だった。一月中旬から二月にかけてのロカール高地の気候のひどさを考えると、ロカール街道を四週間とすこしで踏破したのは半ば奇跡的といってもいい。彼自身は旅慣れているし、ロカール街道は勝手知ったる道である。にもかかわらず、この旅はマルクにとって思いがけなく忘れがたいものとなった。雪の舞い寄せるロカールの寒気はお世辞にも嬉しくはなかったが、同行していた商人の一行は随分と抜かりなく用意していたらしく、ほとんどの行程で暖かい夜を過ごせた。ラドビクと二人だったならば、惨めに凍えた近衛騎士の主従が心まで氷漬けになってラタールにたどり着いたに違いない。
 同行者の一行は芸達者揃いだった。ナイフ使いの軽業の達人、容姿は十人並みながら踊り出すと目にもあでやかに舞う踊り子、人形使いの美しい双子の姉妹、虚構を真実にすり替える語り部の老人、年老いてなお美声を誇るかつての歌姫、槍斧使いの屈強の戦士。二十人に満たない一行にこれだけの芸の持ち主が揃うことはまず無いだろう。マルクは彼らとよく話し、杯を交わし、歌い、踊った。もし近衛騎士という歯止めがなかったら、マルクも本業の技をもってとっておきの芸の一つや二つしていたことだろう。一行の主である豪商も豪放磊落な人物で信用できた。彼はマルクとラドビクを息子のように扱ってくれ、娘を嫁にいらないかなどと冗談が出たことさえあった。
 ラタールのかつての首府・トラヴィスに到着したときには、別れがひどく辛かった。彼ら一行は此処からまだ先へ行かねばならないという。その頃にはもう彼らがただの隊商の一行ではなく、おそらくは黒の宰相配下の密偵達であることは見当が付いていたが、それでもなお、いや、それだからこそ別れが惜しかった。彼らの幾人かは、再びソーリアに戻ることはないだろうし、マルクと再会することなどまずあり得ない。ラドビクは半泣きで再会を約束していたが、マルクには戦神・ブルグラントの祝福を祈るのが精一杯だった。おそらくは彼らもその意味を理解したのだろう、再会を約することはしなかった。
 マルクとラドビクは、おそらくはかりそめに与えられたに違いない、本来の使命を果たすべくトラヴィスに逗留した。密書を渡すべき相手は、トラヴィスに来ているはずの、イーリスの都市国家・ポントゥの密使だった。マルクとラドビクは数日後にはその密使に会うことが出来た。