龍狩人(序章)

 あの伝説的な戦い、竜王バルナグと龍斬皇エリフの一騎打ちと竜王の最後、そして、竜王の呪詛によって起こった天変地異、その一連の事件からすでに70年以上の月日が流れている。今となっては、ほぼすべての関係者が来世への階を上っており、当時の真実を解き明かす術もないが、大地は荒れ狂い、海は裂け、空は暗雲と雷に満ちた、あの地獄の日々を世界にもたらしたのが、竜王の断末魔であることは疑うべくもない。
 バルナグの呪詛の意味は、当時の人々にとってこう捉えられた。即ち、邪龍を打ち倒した張本人、龍斬皇エリフへの恨み辛みのとばっちりが世界に向けられたのだと。故に、亡国の王子である龍斬皇とその師父たる賢者アメルオを讃えるものは、その後パッタリと途絶え、二人は流浪の果てに失意のうちに亡くなったという。竜王の真の呪詛が、龍斬皇自身が守護してきた相手であるはずの人々に疎まれ、味方であるはずの人から追われることにこそあったと、少数の賢者が知り得たのは、すでに二人の終の棲家さえわからなくなった後のことであった。
 その後、うち続く天変地異と、竜王の殺害がもたらした魔物への秩序の消滅は、12の諸族が争う乱世を現出させた。そこかしこで踏みつけにされる人々の怨嗟の声は、自ずから元凶たる龍斬皇、いや、そのころから龍呪皇と呼ばれるようになったエリフ王子に向けられるようになった。為政者にとって、物言わぬかつての英雄は世の不合理を押しつけるにうってつけの相手であった。
 かくて、この世の悪の元凶は、魔の統率者たる竜王から、竜王を殺めてこの世に無秩序と暗黒をもたらした呪われし王子に様変わりしたのである。

 しかしながら、世の人々が都合よく忘れ去っている事実があった。エリフ王子は唯一龍を殺せる戦士として育てられ、神々と12種族の祝福を受けた不老不滅の存在であること。死せる竜王の力はこの世のあちこちにばら播かれ、多くの龍とその亜種が生まれたこと。そして、本当に有力な龍を倒す力を持つものは、その後一度として人々の前に現れなかったこと。
 龍呪皇を恨む声の中で、龍呪皇を救世主として祀るもの達が現れ、その再来を望む声が静かに力を増していったのは、為政者にもいかな英雄にも退治しきれない災禍の体現者、龍の存在があったためであろう。

 一方では「闇をもたらすもの」として悪の体現者と目され、一方では再来すべき「救世主」として祈りの対象となる。そんな神にも似た扱いを受ける、伝説上の人物エリフ王子。しかしながら、その彼が未だこの地上に存在する現実の人物であり、辺境の深山で慎ましくも生活していようとは、想像するものは誰一人としていなかったのである。


 かつて、善意と自己犠牲をもって人々に相対し、悪意と身勝手を持って人々に追われた英雄を、人々が再び身勝手にも必要とする時が迫っていた。犬さえも恩には忠義を仇には牙もて返す。ならばこの英雄が返すものは何であるか。人々はそれぞれ身をもって代償を支払い、因果応報の言辞を深く理解することになるだろう。